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夢見草


vol_3.8   風に吹かれて



   12


「雨だね」
「・・・雨だ」
「雪じゃないね」
「・・・雪じゃない」

 雨粒がフロント硝子に砕かれていく。
 黒い乗用車の運転席に据わるあたしは、オウム返しを繰り返す助手席にいる健と共にクリスマスの夜、ひっそりと息をひそめていた。あまりにも味気ないクリスマス。あたしは雨音だけの静寂と暗闇にいる。先ほど降っていた雪は雨へと変わり、今もこうして降り続いている。その憂鬱な光景は、健もあたしもすでに見飽きていた。とっくに飽きているこの光景を永遠と見続けるには理由がある。あたしと健はある依頼者からストーカーを捕まえてほしいと頼まれたのだ。そして、今日はクリスマス。ストーカーが彼女のマンションに現れるのはかなりの確率だった。そう、予測を立てていた。


「来ない、ね」
「・・・来ねぇな」
 雨音が反響するなかで、あたしと健は実に淡々としたものだった。
 視線の先にある彼女の一室はカーテン越しに灯りが漏れている。依頼主である彼女からはとくにこれといった変化はないようだった。
「なぁ、美夏。言っていいかな」
「なにを?」
「もしかしてさ、あの依頼人の被害妄想ってことは?」
「・・・」
「・・・」

 雨音は止む気配すらない。
 あたしと健は黙ってその様子を眺めていた。暗闇の路地に人の気配はない。相手からは気付かれないで、あたしたちからは相手の行動を逐一観察できることが探偵の仕事である。あたしたちは、常に誰かを監視する立場にいる。それは相手よりも常に優位な立場にいるということだ。言いかえるなら、あたしたちは常に支配する側の人間ということになる。支配する人間と、支配される人間。このことは資本主義でも同じことだ。資本家が支配する側であり、実際に仕事という労働を行うべき側にいる、資本に支配されるあたしたち労働者という境遇は、まったくもって、同じ立場に現にいる。


   ※


  まっかなおはなの トナカイさんは
  いつもみんなの わらいもの
  でもその年の クリスマスの日
  サンタのおじさん いいました
  くらいよみちは ピカピカの
  おまえのはなが やくにたつのさ
  いつもないてた トナカイさんは
  こよいこそはと よろこびました

 雨が降り終わる頃には朝方になっていた。
 結局、依頼者のいうストーカーは現れなかった。
 朝日が眩しくあたしと健を照らしている。夜型の生活にすっかり身体をならしているあたしは目元を隠すためではなく、陽射しになれていない目を守るためにサングラスをかけながら“赤鼻のトナカイ”を歌った。せめてもの、クリスマス気分を味わうために。探偵には“赤鼻のトナカイ”がよく似合う。歌い終わってから、あたしはそんなことを考えていた。黒い乗用車。勿論、レンタカーだが仕事終わりのあたしが運転するシルビアは明け方近い国道を走り抜けて行く。

「今日も一日、お勤めごくろうさまでした」
 あたしが健に言うと、夜型のはずなのに平然と裸眼でいる健もあたしにいってきた。
「骨折り損のくたびれ儲け」

 あたしは左手で健の不貞腐れた頭を小突いた。
「いてぇな」と文句を垂れる健にあたしはどこか安心した。
「帰ったら、なにを食べようか」とあたしがいう。
「喰うことしか、頭にない奴」と健がいう。
 日々の労働は確かにつらい。時に成果を上げられないときだってある。それでも、いいのだ。あたしたちは、仕事をし、そして帰るべき家へと帰る。ちいさなしあわせを守るために。ちいさな、しあわせ。例えばそれは徹夜明けの張り込みをして、朝一番の日の出を拝めたこと、だったりする。


   ※


「健と慎也って同い年だったっけ?」
 あたしの質問に健と慎也は顔を見合わせた。
「なに、いってんの? 今頃気付いた?」
「だって、健って年の割にはチビじゃない」
 高を括っていたあたしに健は自分のこめかみのあたりを人差し指で小突いてみせた。
「栄養がこっちに多分にまわってんだよ」
 だらけすぎた格好で革張りの黒いソファーに横になり、あたしは眠気眼のまま言葉を返す。
「その割には予測とやらは外れたけどね」
「あ、あれはだな・・・その、依頼人の被害妄想だった」
 あたふたと弁解をする健をあたしは眼を細めていった。
「まだ可能性、ありの段階でしょ。どうせあんた、依頼人の娘がちょっとかわいかったから、こんな判断ミスしたんじゃないの?」
「んなわけ、あるか」

 カチ、コチ・・・と壁掛け時計の音が聞こえてくるような気配だ。学生の頃の試験の最中のような、健とあたしと慎也だけの事務所の空気が一瞬だけ止まったように静まり返った。
「でも、まぁ、いいっか」
「・・・いいのか?」
「眠くてイライラしてんのよ。きっと」
「そうだな」

 目元を指先でこじりながら、あたしは眠気を堪えていた。せっかくのクリスマスが台無しになった。でも、それも過去の話になった。そもそも、・・・だって、クリスマスの夜になにも予定がはいっていなかったのだから、仕事で潰れたほうがよかったのだ。ただ、結果を残せなかったことだけが悔しい。それだけだった。それだけで終わる話なのだ。終わって、ほしかった。

「よろこんでいましたよ。正登さん」
 あたしはどこか自覚が付いてまわる憂鬱な眼差しで慎也を見据えた。にこやかに慎也は続きの残りの一節をいった。
「クリスマスプレゼント」
「・・・な。」
 慎也の隣にいた健があたしを唖然とした眼で問う。
「おまえ、あいつになんか送ったのか?」
 動揺しまくりなんだよ。まったく、この相棒は。
 あたしはごくごく冷淡に感情のこもらぬ声でいった。
「あたしの、勝手でしょう?」
「勝手とかそうゆう問題じゃなくてな・・・」
「じゃあ、どういう問題な訳?」
「それは、その・・・」
 眼の奥で動揺する健を笑っているのが窺い知れたらしく、健は意識して細めたあたしの目をみて言い放った。
「知るか、んなこと!」
「なに、送ったか知りたくなぁい?」
 あたしは意地悪に再度、問う。
「知りたくもないね。いや、ホント。マジで。・・・クリスマス明けに勘弁してくださいって感じ」
「送ったのは・・・」
「あー、知りたくない。聞こえない。わーわーわー!!」
 無意味に両耳を押さえて叫び出す始末の健にあたしはぽつりと答えた。
「携帯電話」
「・・・わ?」




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