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夢見草


vol_3.9   風に吹かれて



   ※


 掌のなかにある、美夏からもらった黄色い真新しい携帯を俺は申し訳なく見つめていた。
 リクルートのスーツに首元から垂れるネクタイ。上着を脱ぎ捨てると携帯を持つ手にネクタイが垂れ込める。
 俺はこのネクタイを邪険に思いながらも、上着は汚れないように折りたたんでベンチの上に置いている。
 ネクタイが手元の携帯に被さる。俺はそのネクタイを殆ど無意識のうちに携帯から払っていた。美夏からプレゼントされた携帯を汚さないようにしているかのように。これでは、まるでネクタイが汚いものになってしまう。自分のいい加減な感傷に、俺は携帯をしまい込んだ。視線を手元から、前へと移す事がようやくできた。そんなときになって、古橋が声をかけてきてくれた。


「骨折り損のくたびれ儲けってのは、まさにこのこったなぁ」
「ああ、そうだな」
「でも、まぁ、・・・いっか」
「・・・いいのか、これで?」
「いいの、いいの。俺たちにゃぁ、すんばらしい肉体労働という切り札が手持ちにあるのですから」
 “クハァ”と凝りが詰まった吐息が奴の言葉からにじみ出ていた。
 おもいっきり背伸びをして、地下鉄の売店に並列してあるベンチから古橋は背骨をそり返す。
 その姿は同じく地下鉄の構内を行き交うサラリーマンとなんら代わり映えのしない代物で、俺とて、それは同種だった。
 朝の背に重い荷物を背負ったような背中とか、反対にせわしなく力んだ背中とか、手に缶コーヒーつまんだおっさんとか、歳は若いのに憂鬱な顔した奴とか、とにかくこの街にはいろいろな奴が住んでいる。そして、生活を営む場ではなく仕事をしに来ている。まったくもって地方から来た者にとっては異形というか、異状というか。まぁ、異状な状態にあるのは俺たちのほうなんだろうけど。

「なんか、古橋には悪い事したな俺」
 背骨をそり返し低い天井を眺めていたらしく、古橋は俺の言葉に瞬時に反応を示した。
「んなこたねーって西崎。だいたい俺も就職活動ってやつやってみたかったんだけど一人じゃ心元なかったんだよね。いやーいい機会だったよ。本当にさ、いい機会だった」

「・・・」
「・・・」

 俺と古橋は自然と無口になった。
 喋る事がなくなったから、・・・それもある。
 だけど本当はそんなことじゃなかった。

「しっかし、あれだな。書類選考で落とされまくった挙句、せっかく試験受けさせてくれたのはいいとして、適性検査だけで落とされるってのはなぁ。・・・わかってたことだけど、やっぱ、学がなきゃダメかぁ?」
「学があっても、無職のぷ〜さんの俺たちじゃダメでしょう」
「はは、なんだ? 無職のぷ〜さんって、西崎、おまえ笑えるな!」

 ハハハ、ハハハ、・・・・・ハァーア。

「・・・」
「・・・」

「おい、西崎」
「なんだよ、古橋」
「俺、就活やっぱ無理があるわ」
「・・・っんなこというなよ。まだ、俺たち始めたばっかじゃん」
「学なし、脈なし、でもか? 俺たち、こんな波のなかいたら、いつか飲まれて死んじまうよ」
「弱腰なんて、古橋らしくもない。大丈夫だって、俺たちはまだやれる」
「やれる? ・・・なにをだ?」

「・・・」
「・・・ごめん」
「いや、大丈夫」
「そっか」
「うん」

 そういって、俺たちはまたも無口になってしまった。
 社会の荒波はさむざむと凍て付くほどだ。仕事をみつけたとしてもそれは必ずしも続けられるとは限らない。
 その仕事に就くことと、続けられることはまったくもって別の話なのだ。あれほどまでに勝悦としていた、隣の奴でさえも。
 古橋一成。こいつとの出会いは、都会に来た頃にさかのぼる。


   ※


 国立にあるオンボロアパート。葵藍荘、名を“セイランソウ”と読む。
 俺と慎也は上京して最初、このアパートに住んでいた。なぜ、国立なのか。なぜ、上京なのか。
 夢? 俺と慎也にそんなものは微塵もなかった。では、なぜ地元の田舎をでてわざわざ上京したのか。
 そんなことは単純にすぎない。俺たちは家を出たかった。息苦しい、あの家から抜け出したかった。
 ただ、それだけのために、俺は慎也をつれて国立にたどり着いた。

 国立。JR中央線の奥の方にある街である。
 国立といえば、昔、RCサクセションの清志郎が売れない時代に住んでいて、そこにちなんだ歌をたくさん書いている場所だそうだ。ブルーハーツ時代のマーシーも中央線やその沿線の街を歌っているし、大槻ケンヂのエッセイなんかにもよく登場する場所でもある。ミュージシャン、小説家、芸術家、デザイナーの卵達が数多く住んでいる場所。・・・などと、東京案内の雑誌に記されていた場所。かと思えば昼間から酒を飲んでウダウダしているオヤジどもが多数出没する地域ともある。つまりは、俺は、慎也を連れてこの場所にきた理由は、夢を見つけたかった。それだけの、理由だった。単純すぎると、笑うがいい。それでも俺は来てしまった。ある心理学者はこんなことをいっている。「人生で一番苦しいのは、お金がないことでも、病気でもない。将来に絶望することだ」、と。




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