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夢見草


vol_4.0   風に吹かれて



   ※


「あーぁ。馬鹿みてぇだ。つっかれた」
 国立に帰って来た。葵藍荘に帰って来た。
 古橋はリクルートのネクタイを緩め、せんべい布団の上に突っ伏してみせた。
 俯き加減に倒れこんだのでどこか息苦しそうにも見える。
「適当にその辺に座れや、西崎」
「・・・ああ」

 俺は適当に小汚い畳の上に胡坐をかいて座った。
 やはり古橋はどこか息苦しそうな声だった。
「おまえの部屋なぁ、まだ空いたままなんだぁ」
「・・・そうか」
「慎也とまた戻る気ねぇか?」
「・・・当分はまだ戻らない」
「そうか」
「そうだ」

「・・・俺なぁ、田舎に帰るかもしれない」
 突然の古橋からの宣告だった。
「帰るって、・・・田舎に?」
「このまま、ここにいてもしゃあねぇもん。都会に出てきたはいいけどさ、あるのは夢だけで、あとはろくでもない肉体労働の仕事ばっかじゃん。理想と現実ってさ、やっぱ違うよ。西崎、おまえはずっと東京にいるのか?」
 古橋の質問に俺は少しの間を置いて答えた。
「俺は、まだここでやり残したことがある」
「・・・そうか」
 古橋がゆっくりと息を吐くのがつたわってくる。古橋には写真家になりたいという夢がある。俺には、夢はない。夢を探すためにここにいる。夢を叶えるためではなく、探すために。夢を持つ若者のとなりにいる。慎也も俺も刺激がほしかった。夢がない自分とは違う同い年ぐらいの若者といれば、きっとひとりでは気付かなかったなにかを見つけられる。それは幻想だったのかもしれない。


 俺は少しの間、自分のなかに意識が沈み込むのを感じた。
 人並み程度には仕事はこなしてきた。肉体労働、接客。だが、それだけだった。なにか見えない線のようなものが引かれていた。それなりにこなしはできるが、長続きはどれも続かない。あたりまえだが、継続をするには、やはり適性と努力なのだ。俺には、そのどちらもない。

「なぁ、西崎」
 古橋の呼びかけで俺は我に返った。
「やり残したことってなんだ?」
 古橋のこの問い掛けに俺は言葉がつまった。言える訳がない。
 言えるものが、なにもない。それでも俺はとっさになにかを言葉にしていた。自分のなかに沈み込んでいた手前、なにを言おうとしているのか自分でもわからない。それでも、言葉は勝手に滑り出ていた。
「まだ、なにもしてない」


   ※


 春が来た。夏が来た。秋が来て、冬が来た。
 そして、もういちど春が来た。ひきこもりをしていた時期が俺にはある。
 日々はあっけないほどに過ぎ去っていった。驚くべき速さで一日が終わる。
 一日という転換で自分が現に生きているのか死んでいるのか夢なのか本当なのかさえわからない。
 そもそも自分という奴がどんなやつなのかよくわからない。ひきこもりとは部屋に閉じこもる者をいうのではないとなにかの本に書いてあった。ひきこもりとは自分のなかに閉じこもること、決して部屋ではない。ひきこもりとは自分自身の心にひきこもること。
 俺はなにかに怯えていた。先の見えない未来。夢もなく変わらない現実。そして、なによりもそんな見えない未来に向かい邁進しようとする俺自身が、怖かった。勉強は好きだった。中退した高校では優等生で通っていた。それが、いけなかった。
 なんのために勉強をし、続けるのか。俺は単に勉強が好きだったし、自分のなかの可能性を広げたかった。たったそれだけだったが、いい点を取ればうれしい。悪かったら気まずい。それだけに終始すればよかったのだ。だが、優等生であると決め付けられた俺には常に周りの視線があった。優等生という言葉、存在。それだけが俺を縛っていた。周りの視線がくるしい。痛い。孤立していくのが肌を通してつたわってくる。俺は真剣になりすぎた。生真面目になりすぎた。だから、ひきこもっていた。他の者には決してわからないだろう。ひきこもる人間とは、他人が考えるよりも真面目なのだ。真面目で、どうしようもなく自分に甘えが効かない。妥協すればよかったのだ。そうすれば、きっとひきこもらずに生きていけた。高校を中退せずに卒業できた。間違いを犯す奴は誰でもそうだ。自分自身に、あるいは周りに妥協が効かない。通じない。妥協。妥協だ。そうだ、妥協だ。妥協。妥協。妥協。妥協。妥協。妥協。妥協・・・。


「ダチョウ・・・」
 視線の先に空き缶が転がっていた。
 ダチョウすればよかった。いや、ダキョウか。
 あの頃はそんなことを思っていたな。そして今は“妥協”が“諦め”に変わった。
 薄汚い畳の上に俺は寝ていた。古橋は薄汚いせんべい布団にだらしなく眠りほうけている。
「ああ、そうか。俺は寝てたのか」
 畳の上に転がる無数のビールの空き缶に俺は目を背けたくなった。
「国立。そこは、昼間から酒を飲んでウダウダしているオヤジどもが多数出没する地域。・・・あたってんな」
 俺はひとり、笑った。酔いのせいもあるだろう。だが、それだけでもない。将来の不安? 夢? そんなことはどうでもよかった。
 現在、今があれば、それがあればいつだってなんとかやっていける。古橋のだらしない寝顔を横目に俺は願った。
 先の見えないものを信じようとしてどうなる? 俺には今があるじゃないか。 夢ってそういうものだろ?

 そう思った。
 願った。
 妥協だ、妥協。・・・諦め、だ。
 美夏からもらった真新しい携帯をスーツのポケットから取り出す。
 開封済みの受信したメールを開く。
 不採用通知のメール。
「経費削減ってやつですか? ・・・えげつないことしてくれるよな」
 つぶやく。古橋はあいかわらず夢のなかだ。現実にいる俺はそれを羨ましそうにながめているに違いない。
 古橋が沈黙している合間に、俺は不採用通知のメールを削除した。




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