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夢見草
vol_4.2 日常
13
「なあ、西崎」
古橋は自然と笑いながら俺に問いた。
「おまえさ、今までいったい何をやってきたんだ?」
暗闇に浮かぶ古橋がなにをいっているのか俺にはわからなかった。
「妥協ばかりしてるから、なにも手に入らねーんだよ」
・・・・古橋?
古橋はそんなことをいう奴ではなかったはずだった。
「お前はずっと、変わらないままだ」
溜息まじりに俺の目の前で背を向けると、一歩、そしてまた一歩と遠ざかる。
暗闇のなか、独りになろうとしていた俺はとっさに古橋の名を呼び、駆け寄ろうとしていた。
俺は独りになんてなりたくなかった。
誰にも認められなくても、それでもいいと思っていた。
そう、思っていたのに。
現在も過去もそうだった。
足を、一歩を踏み出すはずだった。
足が動かない。足首を誰かがつかんでいた。
視線を足元へと移動する。足首に感じていた人の、手の、もの。
俺の、手だ。足首をつかんでいたのは底にいる俺自身の手だった。
『何処に行くつもりなんだよ、西崎正登』
底にいる俺が俺に問い質してきた。
「何処って、古橋のとこだよ。そんなこと訊かなくてもわかっているだろ」
『お前は古橋の所には行けない』
同じ俺が言っているのに俺は訊かずにはいられなかった。
「なぜ?」
『お前は古橋じゃない。古橋と同じ道へは行けない。古橋以外、誰も進むことはできない』
そんなことは言われるまでもなく知っていたことだった。
「・・・だけどさ」
『お前はずっと、この場所にいればいいんだ。何処にも行く必要はない』
「だけど」
『お前は、一生、ココマデなんだから』
自然に笑えている俺がいた。
視線の先に。足元に。俺はそれを見つけていた。
そして、そんな俺自身が、自然に笑えている底の俺が悪魔にも見えた。
『ココニイレバ、ズット安全ダヨ。ソンナコト、ワカッテンダロ?』
そんなことはわかっていた。わかりきったことだった。
「放せ」
『ナゼソンナコトヲイウンダ?』
「放せよ」
『オマエナンカガ、ドウガンバッタッテ、ムクワレハシナイノニ』
聞かれなくても知っていた。そしてなぜか日々、感じていたことだった。
それでも俺は・・・。
『ココニイレバ、ズット安全ダロ? ソンナコトワカッテンダロ?』
俺は・・・。
・・・理屈じゃない。
「・・・理屈じゃねーんだよ」
※
池袋。
・・・馬鹿か俺は。
思いっきり爆睡していた。しかも地下鉄の車内で。
寝言までつぶやきながら。池袋西口公園の中央の噴水をながめながら俺は今日も変わらず就職活動を続けていた。
よく、飽きねぇな。と電話口で昨日も古橋に言われた。正直かったるい。馬鹿馬鹿しい。
そもそも、なぜ就職活動などしなくてはいけないのだろうか。
・・・どうせ、落とされるのに。
パイプ状の腰掛に座り込み、タイルの地べたに革靴の底を踏みしめて、ネクタイ緩めた俺は、
そしてなぜか手にしているものは・・・。
「なにやってんだろ、俺」
就活用に新調したビジネス鞄を膝の上にのせ、なかを覗き見る。
茶封筒のそれは、溜息が漏れるくらい鬱陶しく圧し掛かってきたもので、
なくした時間を取り戻すために必要なものだった。
噴水の、空に噴出す水しぶきが着水する音を聞きながら、俺はもう一度、おなじセリフを口走る。
高等学校卒業程度認定試験
「なにやってんだろ、俺」
※
高卒認定の正式名称は高等学校卒業程度認定試験というらしい。
学歴が中卒や高校中退でもこの試験に合格すれば、高校卒業と同程度の資格が得られるというものだそうだ。
平成十六年度まで実施されていた大学入学資格(大検)に変わり、平成十七年度より実施されることになったこの資格制度は、合格すれば希望する国・公・私立のどの大学・短大・専門学校でも受験でき、各種の国家試験などに際しても、高校卒業者と同じ扱いを受けることができる。また、就職等にも活用できる試験とすることも高卒認定の大きな趣旨だそうだ。
「受けなさい」
強制的に話を持ちかけてきたのは俺でもなければ慎也でもない。
真由美さんだった。
「あんたら、もち、受けるよね」
俺と慎也は当然とばかり黙り込んでいた。
「受けるんでしょ?」
受けたくない。ともしも、このとき答えたならば真由美さんはどんな反応を示すのだろうか。
『受け、・・・マスン!!』
こんなことを返答したら、多分殺されるだろう。
真由美さんはなぜか俺と慎也を正座させて語っていらっしゃるのだからいたしかたない。
しかも微笑を崩さないときている。この表情は間違いはなかった。
心から微笑む子供の表情ではない。つくられた大人だけがする表情である。
「なんで、いまさら」
これが俺の本音であった。
「今なら、引き返せる」
真由美さんが言った。
「何処にですか?」
慎也が訊いた。
そして、俺も慎也も真由美さんの口元をそれとなしに見つめていた。
俺と慎也の過去の行動理由がそこには確かにあった。
なぜひきこもったのか、登校拒否をしたのか、中退したのか。
理由はあったようでなかった。そしてそれは一言で言い表せられた。
少なくともなにも知らなかったあの頃は。
「理屈は聞き飽きた」
微笑む真由美さんを、俺と慎也は冷めた視線で見つめていた。