鈴木賢二木版画
          
 母子・女
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麦秋
1959年ころ
105x49p
 鈴木賢二の木版画は
女・こども・農婦・農夫・社会の底辺に働く人々に視線を向けた作品が多い。
 社会性を帯びた作品には、そこに闘う人々のたくましい姿を彫りだしている。 
 ここでは母と子、女を題材にした作品をご紹介する。
 
母と子
1961年
75x95
花と女
1959年
59x52
小午飯(こじはん)
1958年ころ
85x55


1959年
67x32

1959年
55x97
念仏
1962年ころ
58x52

1962年ころ
57x42
やんま
1961年ころ
52x36


1948年
34x27



       版画家 鈴木賢二

        
――庶民の暮らしの中にある侘しさと明るさ――

                          栃木県立美術館特別研究員 竹山博彦



 
街の喧騒とは無縁の小さな路地裏にある駄菓子屋、こどもたちにとってはけっこう広い道幅なのだが、その周りはいつも彼らの笑いさざめきに満ちている。明るく陽光の当たる場所でありながら、なんともいえぬ物悲しさがただよってくる。
 東京では少なくなってしなったそうした情景、私の記憶の中にある情景が、この町栃木市にある。全てが都会化してしまって、田園とか田舎らしさの残っているような場所が、日本からどんどん失われていく今、私のこのような感慨は多くの人にとって奇異そのものだろう。地面に足を降ろして、それこそ今日の暮らしを生きてきた庶民は何処にいってしまったのだろうか。
 幸福への希求、向上の努力こそが庶民の明日への活力であった。努力がそのまま自らの成果として受け取ることの出来る世の中の実現、日常のユートピアを目指した人々の歴史が、二十世紀の歴史でもあった。鈴木賢二は、戦前のプロレタリア美術運動、そして戦後の平和美術活動に一貫して身を投じた芸術家であった。彼は、日常の生活の苦しみを明るさで生き貫こうとしながらも、明日の幸せへの何ともしがたい不安を拭いきれないでいる庶民の、その生活のなか作品の原点を見出した。したたかさはあるけれど、一抹の不安を持ち続ける庶民の現実を表現することで、努力が正当に報われるべき社会の出現を心から願ったのである。
 プロレタリア美術運動の終息を待たずにふるさとである栃木の帰住し、彫刻家として活動、そして戦後、ついに版画という表現法にたどりついたのも、鈴木賢二自身が大地に根ざして仕事を、より多くの人に声をきいてもらえる仕事を探し続けた結果だと思えてならない。版画の複数性とは、肉声の、生の声の届く範囲だと思う。木版という彫刻の延長のような作業の中から、それこそ魂を刻むような作業の過程を経て、作品が生まれてきたのだ。
 ある日、私が見た記憶の風景は、いまだに心の底にただよっている。経済的にも世界一流になったこの日本という国家が真の意味での一 流になるためには、まだまだ努力しなければならないことがあることを鈴木賢二は真摯に訴えかけているのである。


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