UpDate 2000/2/23


近すぎてめったに行かない芝塚山
   (しばつかさん)



Q どこにあるの?
A 片柳町にあります。薗部町のすぐ隣町で、商業高校の脇にあります。

Q 何なんですか。
A 山です。

Q タイトル見ればわかります。高さとかを聞きたいのです。
A 標高60m程度の丘のような山です。実際の高さは12〜3m位です。

Q 何が有名ですか?
A 有名ってほどのもではありませんが、まあ見て下さい。


太平山から来られた方、お疲れさまです。


 芝塚山遠景
 芝塚山は昔は「字芝塚南柳山三法山」と呼ばれており、元は東側下に小沼があり南側には天台羽黒宗佛法山北蓮寺という修験寺があり、その境内であったそうです。
 この山は源義家及び義経が武運長久を祈った所と言われており、昔は池の中島に弁財天が祀られており、寺内には五智如来の尊像が安置されていたそうで、霊験あらたかなところであったことでしょう。
 今や、写真の如く周囲には民家等が建ち並び、その面影さえも窺い知ることができません。

 
<山頂の様子>

明治初年までは山頂に47士の供養碑が立ち東側山腹には義経大明神と刻んだ小碑がありましたが、今では全く不明で存在したことを知る者もおりません。 

 現在は東屋が設置され公園となっています。



<山頂より北方を望む>正面は錦着山→GO

 
 

(山の東斜面にあります)
<義経の太刀割石>

 源義経牛若丸と言ひし頃、皇紀1834年第80代高倉天皇承安4年(注:西暦1174年)平家の目を逃れ、金賣吉次の案内で奥州へ下向の砌り、途中にて源九郎義経と名乗り伊勢の三郎を従え当所へ至り武運長久を祈りし際、吾が望み叶うや否や、吉凶を卜せんと源氏重代の宝剣を以て大岩を切りしに見事に割ることが出来ました。其より義経の切割石と称し、後年其岩の上に厳島神社を祀ったと言はれて居りますが、大正年中廻りの岩を切り取りし為元の様な幽深の姿をなして居りません。
(昭和15年2月刊「栃木名所旧蹟物語」大浦倉藏編引用) 

弁慶の太刀割石と呼ばれることもあります。

バスに乗る(太平山コースの方)

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