将棋のページ

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将棋の世界

『趣味は僕の一生の宝物だ』

【将棋と出会い】

 僕が小学4年生の時、親せきのおじさんが僕に駒の動き方を紙に書いて教えてくれました。そのきっかけで僕は将棋に出会いました。そして、地域のおじさんとよく将棋をやりました。
 当時小学5年生に、別のおじさんが、将棋の先生を紹介して頂き、自宅に来てもらい将棋を教えてくれました。2枚落ちの対戦をしました。強くなるためには、5手や7手先以上まで読み必要がありません、常に3パターンを探して、3手まで読みことや、マッタをしないことや、プロの手順を学ばなければいけないと言って、ある新聞に将棋の記事を抜き取って20手ずつを指ささないと朝食が食べられなかったぐらい将棋が好きでした。
 NHKでプロ対戦を実際に、駒を並べながらやったりしました。
 自己流の勉強とプロの考え方の違いに気付きました。
 自己流では最初から攻める一方しか指さないでした。
   プロの将棋では、序盤・中盤・終盤の3つがあることにわかりました。
   まずは、序盤戦では王様を安全な所へ移動すること。駒組みすること。
   次に、中盤戦では戦いを仕掛ける・開始する。
   そして、終盤戦では王様の囲いを崩す。
  ことを学んでだんだんと強くなって行きました。
 当時は地域の中で強い順から2番目の強さまでになりました。
 中学生になると学校の寮に入ったので、将棋の先生が土・日になかなか来られなくなり辞めることになりました。

【地域の交流】

 当時中学2年生に、第3日曜日に町でやっている将棋愛好会を知り、ここに入りましたが、その将棋会場は2階でした。この建物には階段しかないのでハイハイ歩きで、ズボンでそうじしなから2階に昇り、お昼の注文をとってから棋力が同士7級の人と5人の対戦で1日に5局まで楽しく対局を指しました。最初は5局とも負けてばかりでした。8級に降級したり、回数を重なると1勝4敗に出来るようになり、2勝になったり、7級に昇級したりしました。地域では強かったのに将棋の好きな人同士ではまたまだ弱いなと感じました。香落ち対戦もありました(差がある場合の時)。その係りの人は、「中学生でこんな指せるのはいないでしょう。 中学生での中では、強いよ。」と、言われました。僕はうれしかったです。そして2年後には初めて3勝になったことで辞めてしまいました。
 ここの建物にはトイレの設備が僕1人で行ける状態がなかったので母親の送り迎えと昼休みにトイレに行くという最低3回往復をしなければダメでした。それでも2年間も続けました。
 また、同じ仲間の人が僕に将棋をやりに家に遊びに来たこともありました。
 そして、地元の将棋大会に行ったら小・中学生や大人グループに分けて対戦をしました。僕は小・中学生達とトーナメント形式で行った。僕は準優勝しましたが、係の人が対局を拝見した人は、「あの手を間違わなければ君が優勝だったのに」と言われました。悔しいでした。

【囲碁と出会い、囲碁の先生】

 当時小学6年生にある人から盤と碁石を使って教わったというきっかけでこのゲームが囲碁だったのか思いませんでした。
 当時、近所に囲碁ができる人がいませんでした。年間に1回以上やれるのが状態でした。
 それから8年後、退職した先生と知り合いました。土曜日になると必ず、僕の家に来て1日中囲碁をやりました。その先生は囲碁しかできなかったので、将棋をあきらめて囲碁に切り換えてしました。先生とは10年間続けました。

【将棋と再会】

 しばらく将棋を十年以上も指せなかったら、地域の1番目に強いおじさんが、「いつもののりくんと違う。前ののりくんの方がよかった。」と言われました。僕も現在と当時に比べて弱くなってきたことを自分でも分かります。「歩」で相手のことをいじめや、いたずら、仕掛けなどをできるのに、今ではできなくなってしまいました。今も勉強しているけれど、前に戻すことができないです。
 やっぱり毎日続けた20手ずつをやらなければ急に弱くなっていきました。
 その碁の先生は’01年2月にお亡くなり、将棋の1番目のおじいさんも来なくなり、今では相手をしてくれる人はいません。

【ひとりぼっち】

 今では、僕1人で将棋や囲碁ソフトで遊んだり、NHK将棋・囲碁講座のトーナメントの棋譜を並べたり、NHKの詰将棋と詰碁の問題を解いてNHKの宛方に出しています。
 そして、通信講座で将棋や囲碁の受験をしました。その通信講座の受験者を持っているのみの交流場の集まり仲間同士で将棋と囲碁のそれぞれのメールで対局を楽しみました。メール(Outlook Express)で将棋や囲碁ができることを驚きました。

【将棋と囲碁】

 でも中には、「両方とも覚えると強くならないので1つにしなさい。」と言われますけれど、どちら共言えない面白さがあります。
そして、僕にとって将棋と囲碁は宝物だと思っています。いつまでも続けたいです。

【想い出】

 将棋愛好会を辞めて10年後に自宅に郵便の発達さんの人が僕の姿を見ると僕の所に来て「今月の愛好会においでよ」と言ってくれたことが、僕は10年も行ってないのに覚えててくれたことが嬉しいでしたが、行きませんでした。
 今思えば、あの建物がエレベーターやトイレなど付けて車イスでも入れる設備が整えていると送り迎えの2回で済みのに
、そして町民達の交流ができるのに今もあの愛護会に行ってやってみたいな……と思います。
  福祉・老人施設にはエレベーターがあるけれど、健常者達は行かない。
  一般の公共施設には、障害者の人達は行けない。
  地域の人達と同じ趣味を持った同士の交流が出来ないなのが残念です。


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 ここは、将棋世界の情報を僕の知っている範囲の中で皆さんに伝えるコーナーです。

羽生名人が行方八段に4−1で勝って、2年連続して9期の名人獲得おめでとうございます。
 福岡市で5月29日に羽生名人がついに9期目の名人を確保しました。
 4月〜7月にかけて行方尚史八段と名人戦7番勝負を戦って、どちらか先に4勝するとその時点で名人になります。
 最初は、行方挑戦者から指します。2局目は、羽生名人から指します。3局目から先後を入れ替えながらやります。最後の7局目は当日に振り駒で決めます。今期の名人戦は、5局まで4−1で羽生名人が勝って名人のタイトルを2期連続獲得しました。羽生名人は、次期の順位戦(A級)の最終局で最優秀成績は来年の3月4日に挑戦者1人が決まるまで1年間の順位戦は一休みになります。羽生名人は、森内九段は名人8期優勝を越えて9期優勝になりました。これからは羽生名人と森内竜王が「名人」を多く獲得出来るかを競争するのかなと思いました。谷川九段は名人を5期優勝しました。5期以上になると永世名人の資格が出来て順位が付けられます。谷川九段は名人を17番目に永世を獲得したので17世名人、森内名人は18世名人、羽生三冠は19世名人となっています。 大山15世名人は18期優勝、中原16世名人は15期優勝となっています。羽生四冠、森内九段、谷川九段の3人は、引退した人に記憶をどれぐらい伸ばすことができるでしょうか?
 行方九段は、名人戦に負けたので、再びに順位戦A級に戻ってA級と一緒に1年間9局まで優勝を目指して戦います。
 タイトルは、竜王・名人・王位・王座・棋王・王将・棋聖の7つがあります。タイトルよって、トーナメントやリーグ戦や、持ち時間などで行います。1年間の熱戦がそれぞれに違います。1人で7つのタイトル戦に出て、タイトルを獲得もできます。実力同士のクラスが5つあります。クラスで1又2位になった人だけ昇級へ進んで行きます。昇級へ行くほど人数が少ないピラミッド形式で行います。トップクラスに入ってさらに優勝をしなければ挑戦者になれません。挑戦者は、昨年にタイトルを獲得した人と対戦してタイトルによって5番勝負又は7番勝負で、先に3勝又は4勝すると1年間獲得ができます。次期の挑戦者が来るまで待機することができます。タイトル戦は1年に2ヵ月〜3ヵ月渡って行います。負けた人はトップクラスに帰って戦います。 羽生四冠は名人と王位と王座と棋聖の4つを保持者があるので四冠と言います。 羽生四冠は、タイトルの王座戦は、連続19年間も持ち続けて20年目で渡辺棋王に取られたけれど、又、連続3年獲得しています。羽生四冠は毎年、いつでも見てもタイトルを三冠以上も獲得しているので強いなと思いました。タイトルが取られたときは九段になります。いつ先頃かな。 一昨年3月に羽生三冠はNHK杯を4年連続の10回優勝して初永世の資格をしました。昨年は、決勝戦で渡辺棋王に負けてしまいました。渡辺棋王も強いなと思いました。誰でもできなかった羽生さんの連覇を消すことができて、羽生さんと過去の成績も渡辺棋王の方が勝っていますのですごいな。順位戦も第2位が渡辺棋王になっています。A級に入った時点で2位〜4位の間にいます。いつに名人挑戦者になってもおかしくない存在です。今期は、1回戦では1勝しました。負けでも1敗までなので厳しい勝負世界だと思いました。渡辺棋王は、過去に「竜王」のタイトルを連続9年獲得し、永世竜王の資格を獲得しました。すごいな。 七大タイトル保持者が現在は、4人(羽生四冠・糸谷竜王・渡辺棋王・郷田王将)の争いになっています。 羽生さんが強いなと感じしたのは、高校時代に羽生さんが、当時五段時、NHK杯で「名人」を10期以上も獲得した大山名人、中原名人、谷川名人(5)を次々と倒して初優勝をしたことがすごい、その時代は「天才少年」と呼ばれました。当時の僕はA級に入っても戦うことができるなと思い、実際はC級1組から飛び込む事はできないだろうか。対局をたくさんして体験して詰み重なって順々と上がらないとA級にたどり着けないだろうと思いました。小学生名人戦にも優勝が出来たし、強いなと思いました。誰でもできなかったタイトルは7個もあるのに7冠も獲得できました。 永世も6個獲得し、後、竜王です。竜王は6期優勝で後1つ優勝すると永世なります。
 プロ棋士は、何手先まで考えているのかなと思いました。1時間の番組でも1手も指さないときもあるし、突然5手も指すこともあります。 最後は持時間が切れた時は30秒で指します。 これは、詰将棋とは終盤で王将の詰め手を研究。連続に王手をかけて詰み練習。又、頭の中で駒を動かすための訓練です。
 僕も詰将棋で読みの勉強をたくさん解いて勝手な読みじゃなくてしっかりした読みの手順を身につけたいことと、勝ち将棋を指したいと思います。現在は、3手・5手・7手問題と順々に解いています。1日休むと7手問題が解けないこともありますので、毎日積み重なることが大切だと思いました。できれば9手先以上も読みたいと思いました。
  7つタイトルがあるのになぜ名人戦だけ記事にするだろうと思った人もいるのかな…。 僕が、将棋を覚えて、ある先生に、NHK将棋講座を勧められて購入したら、将棋講座やNHK杯でやったプロ同士の対戦が載せてある対戦を棋譜で示させています。今も棋譜を並べています。 後1つ、講座の後ろに名人戦A級〜C級2組の5つクラスが載せてありました。 プロ棋士になるのは、現在のプロ棋士の先生を探さなければプロの道になる事が出来ないと知りました。その人の出身地も書いてありました。残念ことに栃木出身がないです。今も同じ。 その先生は、名人は相撲といえば、横綱、A級は大関、B級1組は関脇と教わりました。又、クラスで第1位又、第2位を取らなければ昇級ができない。下がる人は2人か4人です。又、同じクラス同士対戦しているなと思い、NHK杯でプロの対局している時、2人のクラスの在籍を調べてこっちのプロ棋士が勝つことができるなぁなど予想をやっていました。準々決勝になるとA級以上のプロ棋士対局になりました。上の人には勝ってないと思いました。中には、羽生さんを含めて、何人はC級でもA級に勝った人もいました。クラス分けが載せてありました。あれから15年も経て、だんだんと1年1回の新しいメンバー入れ替えクラスだけしか載らなくなって、今では全然と載らなくなってきました。こんな想い出ある名人戦だけの記事を書くようになりました。 羽生名人は横綱で名人を8期、NHK杯を10期優勝以上したら名誉NHK杯選手権者を獲得したことをすごいなぁと思いました。永久に2回戦シードになります。大山名人は、NHK杯は8回でした。

最新履歴
おめでとう  2013/12/08更新
名人挑戦者 2013/05/12更新
一番長い日 2013/02/28更新

(上の記事)
第71期(2013年)七番勝負日程
日にち 場 所 森内名人 羽生三冠
第1局 4月9・10日(火・水) 「椿山荘」
東京都文京区関口2-10-8

第2局 4月23・24日(火・水) 「富士市文化会館(ロゼシアター)」
静岡県富士市蓼原町1750
第3局 5月9・10日(木・金) 「浄土ヶ浜パークホテル」
岩手県宮古市日立浜町32-4
第4局 5月21・22日(火・水) 「的山荘」
大分県速見郡日出町2663
第5局 5月30・31日(木・金) 「ウェスティンナゴヤキャッスル」
愛知県名古屋市西区樋の口町3-19
第6局 6月11・12日(火・水) 「宝塚ホテル」
兵庫県宝塚市梅野町1-46
第7局 6月26・27日(水・木) 「常磐ホテル」
山梨県甲府市湯村2-5-21
○は勝利。●は負け

前期名人戦七番勝負

順位戦

名人1名

A級 (10名)9局対戦・(成績で挑戦1名、降級2名)

B1級(13名) 12局対戦・(成績で昇級2名、降級2名)

B2級(23名) 10局対戦・(成績で昇級2名、降級点4名(降級点2回で降級))

C1級(29名) 10局対戦・(成績で昇級2名、降級6名(降級点2回で降級))

C2級(47名) 10局対戦・(成績で昇級3名、降級9名(降級点2回で降級))


・四段になるとプロに入り、C2級に入って活躍され、順位戦で昇級した場合は段も昇級できる。


※もっと詳しく知りたい情報はリンク先に「日本将棋連盟」にご覧下さい。

対局中は敵と味方。
一つの対局が終了後は、先生と二人で囲碁を楽しくやっている。

名人1名

A級10名・9局対戦
挑戦者1名・降級2名

B級1組13名12局対戦
昇級2名、降級2名
連続降級2回で降級

B級2組24名・10局対戦
昇級2名、降級4名
連続降級2回で降級

C級1組32名・10局対戦
昇級4名、降級4名
連続降級2回で降級

C級2組42名・10局対戦
昇級4名、降級4名
連続降級2回で降級

三段リーグ34名
昇級4名、降級4名

二段以下130名
昇級4名、降級4名