日本キリスト教会 栃木教会は、開かれた教会を目指しています。
A わたしたちの教会が伝道を開始したのは1890年からで,旭町の会員宅での集会が始まりでした。1908年に倭町に集会所兼牧師館を借りて 20年余,教会の初期の伝道が展開されました。1930年に本町に教会堂を建設し,1933年には自立した教会として教会建設式が行われたのです。
現在地に会堂を新築して移転したのは,教会建設50周年の1983年のことで,1992年にはパイプオルガンも設置されました。地域に開かれた教会でありた
いと願いつつ現在に至っています。
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A わたしたちの教会は,プロテスタントの教会です。神学的には改革教会の伝統に立ち,教会の制度としては長老制を特色とする日本キリスト教会 に所属しています。この日本キリスト教会は,1872年米国の改革教会及び長老教会の宣教師により,横浜で始められた日本基督公会の流れを汲む,プロテスタン
トとしては日本で最初の教派です。
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A 日曜日ごとの「礼拝」がすべての活動の中心です。礼拝では,神への讃美と祈りがささげられ,神の言葉が語られ,感謝のしるしがささげられます。わたしたちの一週間の生活は,この礼拝から始まり,再び礼拝へと導かれます。
また日曜日には,礼拝の前に子供たちのための日曜学校が行われています。親と共に参加するハイキングや夏期学校などの楽しい集いもあります。人形劇や工作などもします。
そのほかの集まりは,キリスト教入門講座や年代別やテーマ別の交わりの会などです(毎月一度)。それから年間の行事として,伝道礼拝,オープン・チャーチや教会音楽を聴く夕べ,キャンドル・サービスなど,広く地域の人々をお招きする集いも行っています。
またアジア学院などの団体や福祉施設との交流や支援にも力を入れています。 そのほか震災支援活動や募金活動なども行っています。
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A わたしたちの教会でも,伝道集会やオープン・チャーチの案内のために,戸別にチラシを配布したり,訪問したりすることがあります。しかしこれは 地域の皆様に教会を知っていただき,聖書に記されている神の言葉を共に聴きましょうとお誘いするもので,一方的に押しつけるものではありません。できる限り多くの方々にキリストの救いの恵みを伝えたいと願い,節度をもって行っています。
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A わたしたちは,教会の自主独立を重んじています。ですから外国からの援助や特定の団体からの寄付も受けませんし,収益事業などの収入もあり ません。教会の運営はすべて教会員の自主的な「献金」だけでまかなわれているのです。 また教会の財務内容は,毎月発行される「月報」や毎年行われる「総会」で明らかにされ,予算・決算も協議の上で決定されます。 また監事が半年に一度財務の監査を実施し,年度毎に官公庁に,財産目録や収支報告書など提出し、公正な財務を期しています。
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A もちろんです。礼拝をはじめどの集会も自由に参加できますし,心から歓迎いたします。またわたしたちの教会は,ハンディを持った方でも参加 しやすいように建物内外の段差をなくし,車椅子,身障者用トイレ,補聴器,点字聖書などを備えています。年輩者のための車による送り迎えもしています。
集会は,日曜学校が午前9時から,礼拝が午前10時15分からそれぞれ始まります。また水曜日には午前10時からと午後7時30分からの2回,聖書研究と祈り会が開かれています。
あなたもぜひ,これらの集会においでになってください。わたしたちの教会は,あなたのおいでを心から歓迎いたします。
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A ローマ・カトリック教会に対して,福音主義信仰に立つ諸教会,諸教派の総称です。歴史的に見るとプロテスタント教会の源流は,16世紀にルターやカルヴァンらによって起こされた「宗教改革」にまでさかのぼります。彼らは当時のカトリック教会の人間中心主義的な教会のあり方に抵抗(プロテスト)して,「聖書のみ」「万人祭司」「信仰義認」を主張しました。すなわち,聖書を信仰の唯一のよりどころとすること,教会では職務による上下関係は存在せず神の前にすべての者が平等であるこ
と,人間は自分の業や功績によって救われるのではなくただキリストを信ずる信仰によって救われることを確認したのです。プロテスタント教会とは,基本的にこのような流れを汲む教会です。
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A 聖書は「旧約聖書」と「新約聖書」とからなっており,両方合わせて「聖書」と呼ばれています。
「旧約聖書」とは,旧い契約(約束)の書という意味です。イスラエル民族の信仰とその歴史が主にヘブライ語で記されており,歴史書,預言書,諸書など全部で39の文書から成っています。
「新約聖書」とは,新しい契約の書という意味です。イスラエルに対する神の契約(約束)が,神の御子イエス・キリストの到来と十字架の死と復活の勝利の出来事に
よって完全に成就したとの信仰の確信に基づいて書き記されました。当時の世界語であったギリシア語で記されており,四つの福音書,使徒たちの手紙など全部で27の
文書から成っています。
聖書は一貫して神の救いの業を語っており,神の救いに出会った人たちの喜びと希望を伝える証言の書でもあります。教会はこの聖書を通して,人間の言葉を超えた「神の言葉」を聴きとってきました。聖書(=バイブル)とは,もともと「本」という意味ですが,聖書こそ正に本の中の本であり,汲めども尽きない恵みの泉にほかなりません。聖書は昨年末現在,世界で2167の言語に翻訳されています。
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A 福音書の「福音」とは「よい知らせ=グッド・ニュース」という意味です。誰にとっても本当の意味で「グッド」と言える知らせのことです。神 はわたしたちを罪の支配から解放し,新しいいのちを与えるために<<イエス・キリスト>>をお遣わしくださいました。このことこそ
「よい知らせ/喜びの知らせ」つまり「福音」にほかなりません。
四つの福音書はいずれも,この「福音」を伝えるために書き記されました。最初に福音書を書いたのはマルコです。マルコはイエス・キリストに出会い,その喜び
を伝えるために福音書を書きました。この福音書の最初の言葉は「神の子イエス・キリストの福音の初め・・・」となっています。この言葉は<福音書とは何か>ということをよく示しています。どの福音書にもイエス・キリストの生涯と教えが書かれており,一見伝記のようですが,そうではありません。また著者
による空想物語でもありません。イエス・キリストの福音の事実を伝え,その喜びを証しする書,つまり福音書としか言い表せない特別な書物なのです。四つの福音
書は,書かれた年代も,書かれた場所も,書かれた状況も異なりますし,表現の仕方にもそれぞれ特色があります。しかしどの福音書も,その3分の1にも及ぶペー
ジを,最後の一週間,つまりイエス・キリストの受難と復活の出来事に割いていることは重要です。これは福音書のメッセージの中心が,十字架の死による罪の赦し
と復活の勝利にこそあることを示しています。
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A 「使徒言行録」には,イエス・キリストの復活と昇天後の弟子たち(使徒と呼ばれています)の宣教(イエス・キリストを宣べ伝えること)の働きと各地にたてられていった教会の様子とその活動のことが記されています。特に使徒パウロという伝道者の働きに多くのページが費やされていますが,これは使徒言行録が,パウロの伝道旅行に同行したルカという人によって書かれたことを考えると当然かも知れません。「手紙」というのは,パウロをはじめ使徒たちが必要に迫られて各地の教会に書き送ったものです。その内容は,福音の証しや諸問題に対する指導,励まし,慰め,祈りなどです。
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A 色々な読み方があると思いますが,最も基本的なことは,2000年もの間,聖書から神の言葉を聴き続けてきた教会の,その交わりの中に自分をおいて読む,ということです。具体的には日曜日毎に行われる「礼拝」で語られる「説教」によって聖書を理解するということです。説教は聖書の説き明かしという形でなされますが,それを神の語りかけとして聴くのです。聖書が書かれた神の言葉であるとすれば,説教は語られる神の言葉であるということになります。教会ではまた,毎週水曜日の午前(10:00)と夜(7:30)に,聖書研究と祈りの会が行われています。祈れなくても,どなたでも参加できます。
それと共に,自分の生活の場にあっても,日々聖書に親しんでいただくことも大切です。最初は内容がよく分からないということがあるかも知れません。でも一度聖書を,はじめから終わりまで読んでみられてはいかがでしょうか。一日数ページずつ読んでいって,一年で旧新約全66巻が読める「聖書通読表」というのもあります。素読でも,全体を読むことによって得られるものは大きいはずです。
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A 聖書には色々な翻訳があります。文語訳聖書,口語訳聖書,新改訳聖書,共同訳聖書,新共同訳聖書などがあり,学者の個人訳もあります。それ らを比較することによって,聖書の学びを深めることができます。
また学びの助けとして,聖書の講解書・註解書,聖書事典,聖書地図など多く出版されていますが,様々な傾向のものがあり,入門的なもの,専門的なものと,選
択が難しい場合がありますから,教会の牧師まで,どうぞご相談ください。
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A 新約聖書は,神の御子イエス・キリストが十字架につけられ,死んで三日目に復活したことを証言しています。その復活の日は,週の初めの日・日曜日でした。ヨハネによる福音書20章19〜20節には「その日,すなわち週の初めの日の夕方,弟子たちはユダヤ人を恐れて,自分たちのいる家の戸に鍵をかけてい
た。そこへ,イエスが来て真ん中に立ち,『あなたがたに平和があるように』と言われた。そう言って,手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは,主を見て喜んだ」と記されています。復活のイエスは,その日すなわち日曜日に弟子たちに出会われ,「平和があるように」と言葉をかけてくださったのです。初代教会は,週の初めのこ
の日を「礼拝の日」と定めて,イエス・キリストの復活を祝いました。こうして教会は日曜日に礼拝をささげるようになりました。
「礼拝」は,人となられた神の御子がわたしたちの救いのために死んで,罪のあがないをなし遂げ,三日目に復活された救いの出来事を想起し,神の言葉である聖書と
説教によって新しく生きる者とされ,感謝と讃美と祈りを神さまにささげる人格的応答の行為なのです。出席する者は自分の全存在をもって神さまと向き合う特別な時として礼拝をささげます。
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A 同じヨハネによる福音書の20章24節以下に,最後まで信じられなかったトマスという人のことが記されています。復活の日に続く日曜日,彼は他の弟子たちと一緒にいました。そこへ復活のイエスが入ってこられて「あなたがたに平和があるように」と言われました。この時トマスは主イエスから「信じない者ではなく,信じる者になりなさい」と声をかけられ,信じる者とされたのです。
人が信じる者とされるのは,語りかけられる神のみ声を聴くことによります。すでに信じている者も,神の言葉を聴くことによって新しくされます。神の言葉は信じる者にとっても,まだ信じていない者にとっても,かけがえのないいのちの糧なのです。礼拝はまた神への讃美と祈りの場でもありますが,これは神の恵みに対する応答を意味します。これも加わることに意味があり,讃美と祈りを共にすることそれ自体が恵みなのです。教会はあなたの礼拝への参加を,心からお待ちしています。
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A 礼拝は毎日曜日午前10時15分から始まります。牧師が礼拝堂正面に立ち司式をします。また会衆(出席者)は正面のテーブルを囲むように並べられたベンチに座ります(讃美歌を歌うときなどは起立します)。礼拝時間はおよそ1時間です。11時30分までには全体が終わります。
礼拝の順序は次の通りです。
〒328-0033
栃木県栃木市城内町1−10−6
TEL 0282-22-3967
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