DREAM   Princess mermaid   



  「すげぇ、ベッピンさんがいるんだよ」

 そんなセリフと共に、無理矢理ディアッカに引き摺られてきた馴染みの喫茶店で、イザークを迎えたのは、見慣れた宵闇の髪と翡翠の眸を持つたおやかな美人だった。
 ニコルと知り合ってから甲斐甲斐しく彼女の元に通い続けるイザークは、以前ディアッカと共に入り浸っていたこの店にも、久しぶりに足を踏み入れたのだが、どちらかといえば、ひっそりとした佇まいだった空間は、今や沢山の女性客の黄色い声が賑やかに溢れかえっていた。
 イザークは、穏やかな微笑みを浮かべながら右往左往しているその秀麗な姿を一瞥してから、だらしなく鼻の下を伸ばしきった己の友人をギロリと睨みつける。
 ただでさえ、ここのところイザークの機嫌は悪かった。
「で?貴様は、男を眺めて何が楽しいんだ?」
「なーに言ってんだよ。綺麗なモンは綺麗だろ。目の保養だよ、保養!」
 相変わらず容赦の無い悪態にも一向に怯むことの無いディアッカは、まぁあれだけの美人なら、男でも一発お願いしたいところだよなぁ。などと、あっけらかんと言い放つ。

 ここ2週間、イザークはニコルに会っていなかった。
 というのも、ゼミの教授のお供で地球のとんでもない僻地に連れていかれていたのだ。
 最早、彼女に会えないことが禁断症状にすらなっているくらいの重症であるのに、何が悲しくてディアッカとこうして茶を飲まなくてはならないのか。そしてその目的が、あろうことか『男』だとは。
 不毛すぎる・・・。

「名前、って言うんだってサ。名前の響きまでイイよなー」
 そんなこと知っている。
 視線でを追いかけているディアッカに対して適当な相槌を返しながら、イザークは表面上は優雅に紅茶のカップを口元へと運んだ。
「年は17で、俺達の一つ下。最近、月から引っ越してきたばかりなんだって」
 それも知っている。
「兄弟が2人居て、妹も超絶美少女らしいぜ!く〜、見てみたいなぁ」
 貴様のような女ったらしに、ニコルを会わせられるか!馬鹿者。
 それに、そんなにつらつらと奴の情報を並べ立ててもらわなくても、のことなら良く知っている。
 ニコルを迎えに行けば出迎えてくれるのは必ず奴だし、2人を送り出してくれる時に向けられる綺麗な笑顔は瞼に焼き付いて離れない。

 はイザークに気付く様子もなく、客で溢れ返っている店内を忙しそうに歩き回っているのだが、いつもなら自分に向けられる視線とその微笑みが、今は見知らぬ客へと注がれている様が、何故かイザークには面白くなかった。
 苛立ちのままに程良く冷めた一気に紅茶を飲み干したイザークは、直ぐに片手を上げて、飲み物の催促をする。
 少し離れたところに居たは、その時初めてイザークに気付いたようで、少し驚いた表情を見せたものの、直ぐに用意をするため、カウンターの中へと消えていった。
 一連のイザークの行動を向かいの席から眺めていたディアッカが、そうか、その手があったか!と両手を叩いてから、自分のコーヒーを勢い良く飲み干して激しく咽たのにイザークが呆れていると、店内にまた新しい客が1人入ってくるのが見えた。
 イザークと同年代らしい青年は、キョロキョロと店内を見回したかと思うと、ちょうど用意が終わり、此方へと向かい始めたに声を掛けた。
「あ・・・あれれ?」
 テーブルの向こうで同じようにの動向を覗っていたディアッカが声を上げる。
 視線の先で、はその青年に笑顔を向け、二言三言会話を交わしたかと思うと、近くに居た別のウエイターにイザーク用の紅茶を手渡し、再びカウンターの奥へと消えていった。
「ガーン・・・いてっ!何すんだよ、イザーク」
 まさにそんな気分だと言わんばかりに大きな擬音を発したディアッカの足を、テーブル下で憂さ晴らしとばかりに思い切り蹴りつけたイザークは、別の人物によって運ばれてきた紅茶のおかわりに、ふんっ!と、ふて腐れながら手を付ける。
 その間もコッソリ様子を覗っていると、何が入っているのかは分からないが、小さなバスケットを持ったが出てきた。

 イザークは別に用も無いのに、を此処へ呼びたかったわけではない。
 2週間程不在にしていたので、一刻も早くニコルの顔が見たいと思う。
 此処でに会ったのなら彼女が今、家にいるかどうかを聞いてみようと思ったのだが・・・バスケットを受け取った青年とが親しげに談笑しているのを見て、何だか無性に腹立たしさを感じたイザークは、何故かそんなことはもう、どうでも良くなってしまった。

 釈然としない苛立ちを抱え、まだ冷めてもいない紅茶を勢いに任せて飲み干した口内は、当然ながら限度を越える熱に犯されてしまい、イザークは声にならない悲鳴を上げた。
「何やってんの?イザーク」
「うるひゃいっ!」(煩いっ!)
 冷めた口調で呆れているディアッカに、誤魔化すような悪態を付いて立ち上がったイザークは、心の中で半泣きしながら足音も荒く、店を出て行ってしまう。

 相変わらず天邪鬼な友人の背中を見送りながらヤレヤレと呟いたディアッカは、ってことは、ここは俺のオゴリってことかよ。と肩をすくめて見せると、小さな紙切れを取り出してサラサラと何かを書き止め、もう一度を目に留めてから、名残惜しそうに席を立った。



 *  *  *



 が喫茶店で働くようになって、1ヶ月が過ぎていた。
 昔から何をやらせても手際良くこなしてしまうの仕事振りは、既に一人前とも言えるもので、最初のうちこそ苦手としていた接客も、今では流れるようにスムーズに捌いているし、本人の意思とは関係無く、元々身に纏っている穏やかな雰囲気と、華やかな容姿が相乗効果となって、店の売り上げにも大いに貢献していた。
 それは小さな喫茶店には実に似つかわしくない出来事で、マスターであるバルトフェルドが、この異常事態に思わず店内改装を思い立った程の出来事であり、流石にそれは妻に止められ防がれたものの、バルトフェルドはを大変気に入ってくれたようで、とても良くしてもらっている。

 店に入ってきた褐色の肌と金色の髪を持つ青年が、この店の常連客であることは知っていたが、その彼の同伴者がイザークであることに気付いて、は内心驚いていた。しかし、ごった返す店内でそんな些細なリアクションすらしている余裕は無くて、ただ黙々と客の座る席の間を泳ぐように移動し続けていた。
 まさか声を掛けてくるとは思わなかったイザークが、を呼んだことについ狼狽してしまったが、用意した紅茶を運ぼうとしたところで、再び入り口から新しい来客があったのに目を向ける。

 キョロキョロと店内を見渡していたその青年は、を見つけると軽く笑みを向けてきた。
「やぁ、例のモノ、用意できてるかな?
「いらっしゃい、サイ」
 忙しそうなに遠慮がちな声をかけてくる彼に頷いてから、通りかかった別のウエイターにイザークの紅茶を頼んで、再びカウンターの中へ入る。
 そして、小さなバスケットを持って戻ってきた。
「はい。全部入ってると思うけど、一応確認してくれないか?」
「ああ。ありがとう」

 彼の名はサイ・アーガイル。近くのカレッジに通う学生だという彼は、マスターの遠い親戚に当るそうで、常連客の1人でもあった。
 最近飼いはじめた子猫のために3日と置かず店にやってくる彼とは、自然にも会話する機会が多くなり、打ち解けるのも早かった。
 マスターの知人が経営する牧場で取れたミルクを飲ませたところ、それ以来市販のものでは一切飲まなくなってしまったという子猫は、意外とグルメ嗜好で、1ケ月程前に店先で缶詰を広げていた時も、その帰りだったらしい。

 バスケットの中身の確認を終えたサイから代金を受け取りながら、はいつものように他愛も無い話をする。
「それで、子猫の名前は決まったのか?」
「え・・・あ〜」
 歯切れの悪いサイの返事に、は苦笑を隠せない。
 理由は知らないが、サイは拾った子猫に未だ名前をつけておらず、とりあえず『チビ』と呼んでいるらしいのだ。
「早く付けないと『チビ』が定着してしまうんじゃないか?」
「まぁ、そうなんだけど」
 曖昧に微笑むサイの柔和な表情を見ていると、は何故かとても落ち着いた。そしてその理由を、ボンヤリと理解してもいた。
 容姿とか雰囲気とかそういった面ではなく、生真面目というか・・・内面的な何かが、どこか自分と似ているような気がして、彼と話しているとは暖かい気持ちになれる。
 サイは人見知りの激しいが、キラとニコル以外に自然に接することの出来る数少ない人間で、プラントに引っ越してきて初めて出来た友人でもあった。
「あのさ、・・・」
「ん?」
「猫の名前・・・あー、やっぱいいや」
「?」
 そんな彼が、言い掛けて止めた言葉は気になるが・・・困ったように視線を逸らしたサイの様子に、は深く追求することを避ける。しかし、その代わり、随分前から思っていたことを述べてみた。
「今度、子猫見せてもらってもいいか?」
「ああ、そうだよな。今度連れてくる。ホント可愛いんだ」
 するとガラリと表情を変えて嬉しそうに微笑んだサイに釣られるように、も表情を緩めたのだが、ちょうどその時、見慣れた銀髪が足早に去って行く姿を、視覚の隅に鮮明に捉えてしまい内心でそっと苦笑する。

 惹かれているのだと思う。
 もう誤魔化し様の無いくらいに。
 無意識に追ってしまう視線が、イザークへの執着心を証明しているかのように思えて、卑しい自分に吐き気がする。
 恋なのか、親愛。もしくは友愛なのかは分からないが、限りなく前者に近いこの想いは、許されないものであり、もはや心の奥底から、決して表に出しては行けない、知られてはならない、報われぬもの。

 店に勤めるようになってから、はイザークと顔を合わせていなかった。
 バイトの時間の関係で、ちょうど会うことが出来ないのだが、しかし、それだけではなく、意識的に避けていた部分も無いとは言い切れない。
 けれど、それでも彼が今までと同じようにニコルと一緒に出かけていることは知っていた。
 きっと2人は、上手くいっているのだろう。
 やキラが入り込む隙など無いくらいに。

 追加の紅茶を運んですぐに席を立ったイザークは、何か急用でも出来たのだろうか?勢い良く店を出て行ってしまい、結局イザークとは一言も話せなかった。
 これで良いのだと分かっているのに、気分が沈んでしまうのは自分でもどうしようもなくて・・・そんな気配を感じ取ったのだろうか?いつもならコーヒーを飲んでいくサイまで、今日はさっさと店を出て行ってしまった。
 そんな状態の時にレジまで清算に来た金髪の男が、名前と電話番号らしき数字の書かれた紙を押し付けて出て行ったのを呆然と見送ったは、突然込み上げてきた咳に口元を押さえて蹲る。
「・・・っ・・・けほっ」
 ここが店内だと気付き、なんとか立ち上がって店の奥へと転がるように駆け込むと、嫌な汗が背中から湧き出てくる不快感に必死に耐えた。
 しばらくその体制のまま呼吸が落ち着くのを待ってからヨロヨロと立ち上がったは、受け取った紙片の中身を確認しようともせず、上着のポケットに乱暴に押し込んだ後に、一つ大きく溜息をついて気分を変えると、再び仕事へと戻っていった。



 *  *  *



 ピンポーン・・・。

 自分で叩くキーボードの音と、窓の外から微かに聞こえる街の喧騒だけが、この空間を支配する僅かな音だった。
 普段からキラは何かに集中すると周りが見えなくなりがちで、来客を知らせる目的の為に設置されたソレが出した音は、やけに大きくハッキリと部屋の中に響くのに、それでも最初は気付かなかった。

 ピンポーン、ピンポーン・・・。

 しかし、執拗に鳴らされ続ける音の前では流石のキラでも集中力が途切れてしまい、仕方なく椅子から重い腰を上げた。
 玄関へと向かう途中、そういえばプラントに来てから、自分で来客の応対に出るのは初めてだと。つまらないことに気付いてしまう。

 掃除、洗濯、家事などキラ達の身の回り世話は、プランとに来てからというもの、全てがやってくれていたし、来客の応対一つについてもしかりだっだ。
 そういえばが働きに出るようになってからは来客も途絶えていたように思う。
 本当はに外で働いて欲しくなど無いのに、今の状況ではなかなかキラの言うことを聞いてはもらえなくて。
 だから、もう少しまとまったお金を手に入れたら、キラはと共に引っ越そうと思っている。そして人を雇い、もうそんな煩わしいことをがしなくても済むようにしたかった。

 ピンポーン・・・。

 はいはい。うるさいなぁ。
「はい。どちらさまですか?」
 インターフォンごしにに問いかけると、一瞬の間を置いて返事が返ってくる。
「イザーク・ジュールだ」
 どくんっ。
 その声に、キラの心臓が小さく跳ねた。
 何故、彼が此処にいるのだろう?
「・・・用件は何?」
「ニコルに会いたいのだが?」
「・・・」
 ニコルは出かけている。
 だが、てっきりイザークと一緒なのだとばかり思っていた。
「ニコルは今、いないよ」
 訳も分からずに、しかし真実を述べると、
「そうか・・分かった。邪魔したな」
 インターフォンごしでもハッキリと分かるくらいの落胆した声が聞こえた。

 扉を開けなくても、あの銀糸のように美しい髪と、氷のように透き通った蒼い眸を持つ麗人の顔が、悲しげに翳りを帯びている様が想像するのは容易いことで、ニコルに対して言いようの無い怒りが込み上げてくる。

「何か伝えることがあるなら、言っておくけど?」
 まるでニコルを応援するかのようなセリフ。何故、こんなことを言ってしまったのかキラ自身も理解できなかった。
 ただ、なんとなく、このまま会話を終わらせたくないと。そんな想いから出てしまった言葉を今更後悔したとしても、出てしまった言葉は消せるはずがない。
「ああ、いや・・・2週間留守にしていたから、顔が見たかっただけだ。また来てみるさ」
「・・・そう」
 プチンと切れる通信音を聞きながら、キラは混乱していた。

 2週間留守にしていた。とイザークは言った。
 しかし、ニコルは毎日出かけている。
 でも彼は居なかった?
 ではニコルは一体、何処に?誰・・・と?

 音を発しなくなったインターフォンを呆然と見つめながら、キラは暫くそこで立ち尽くしていた。


2005.10.23


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