NOVEL1     慟哭      2



  「お帰りなさいませ、アスラン様」
「爺・・」
  屋敷でアスランを迎えてくれた人物。
  それはアスランが幼少の頃からザラ家を守ってきた執事本人であり、他にも数人のメイドは見慣れた顔だった。
  幼い頃から不在がちだった両親の変わりに、アスランを我が子同然のように可愛がってくれた執事。
  そんな彼は、エザリア様の計らいで、2年間ずっと屋敷を守りながらアスランの帰りを待っていてくれたのだ。
  申し訳なさと、自身の情けなさにアスランは彼らをまっすぐに見ることはできなかった。
  自分は・・全て捨てて、もう二度と帰るつもりなどなかったというのに。
  彼らはただひたすら、そんなアスランを待っていたというのだ。
  しかし、執事はアスランを幼少の頃から見ているのである。そんなアスランの心情すらもいとおしく、穏やかに微笑んでいた。
「客人にお茶をお願いする」
  イザークが勝手知ったるというカンジでメイドに言いつけると、後ろで呆然としている3人に、応接間はあっちだ。と指差した。
  言われるままに応接室に入っていく3人を見送ってから、
「アスラン、お前はこっちだ」
  そう言って階段を上っていった。

「入ってろ」
  一つの扉の前イザークがそう言って、どこかへ行ってしまった。
  イザークに示された部屋。
  そこが何の部屋であるか、アスランは知っている。
  家具、雑貨・・一つ一つの置いてある位置・形容まで、その部屋に関しては全て知っている。
  なぜならそこは、2年前まで住んでいた自分の部屋だから。
  扉を開ける音もほとんどしない。それは家がよく手入れされている証拠であり、2年前と何ら変わりない。ということを強調しているようでもある。
  埃ひとつ無い部屋が、そこの主が長いこと留守にしていたことを物語っているかのようで、やるせない気持ちになる。
  ふと見ると机の上に白い布がかぶせられていた。
  気になって布を取ってみると、そこには作りかけのハロが置いてあった。 
  フラッシュバックする記憶・・。
  完成間近で放置されていた、ハロ。
  もう、もらってくれる人もいない。行き場の無いハロ・・。
  アスランは苦笑して布を元に戻した。
  人の気配に振り向くと、いつの間に戻ってきたのか扉の近くに小さな箱を抱えたイザークが立っていた。
「これをお前に渡せ。と母からだ」
  受け取った小さな箱はとても軽かった。
  エザリア・ジュール・・イザークの母である彼女とは、アスランも昔からよく顔をあわせていた。
  アスランの母レノアと学生時代からの友人であり、昔はよく家にも遊びに来ていたからだ。
  年を重ねるごとに、評議会議員であるエザリア様は父同様多忙となり、ユニウスセブンで母が亡くなってからは家に来ることはパッタリと無くなった。
  母が亡くなってから、父は変わってしまった。
  厳しいながらも家族を愛していた父は霧のように消え、ナチュラルを憎み、戦争を拡大させ・・そしてその戦争のための、彼にとってただの駒となった自分。
  全てが間違いだと気づいても、何も出来ず、止められもせず・・全てを失った自分。
  悔やんでも、悔やみきれない。自分の愚かさと無力さ。
  アスランは大きくため息をついて、ゆっくりと箱を開けた。
「!」
  これは・・。
「母が預かって保管していた。お前にいつか渡したいと言ってな」
「・・」
  それは、父の遺品だった。
  もともと私物を執務室に置く人ではなかったから、遺品は少ない。
  ソロソロと手に取った壊れた写真立て。幼いアスランとやさしく微笑んだレノアの写真。
  あの時、父を裏切り、父に撃たれて・・アスランの心のようにガラスが弾け、床に叩きつけられた写真。
「整理したときには割れていたそうだ。何故かはわからないがな」
  割れたガラスはテープで仮止めしてあった。
  それは、もう一度写真を飾ったという証のように思えて・・。
  心が熱い。
  写真の自分と母が歪んでいくのを不思議に思いながらも、ああそうか。とどこかで納得する自分がいた。

 エザリアはいつでもアスランが戻ってこれるようにと、停戦後パトリックの身辺の整理も行った。
  彼女はレノアの子であるアスランをイザーク同様可愛く思っていたが、パトリックのことは少し苦手だった。
  しかし、その考えが誤りであったこと・・彼の不器用さに初めて気づいたのはこのときだ。
  パトリックの遺産のほとんどは、全てアスランの名義になっていたのである。

「パトリック氏は、いつでもその写真を飾っていたそうだ」
  まるで、二人をいつでも自分の側においておくかのように。
  アスランの頬を滑り落ちたしずくが、カーペットの上に到達するのとイザークが部屋を出て扉を閉めたのは、ほぼ同時だった。

「わぁ、このケーキおいし〜!」
  幸せそうな声を上げるルナマリアをレイは一瞥するものの、特になにも言わず隣で紅茶を飲んでいた。
  シンはシンで、キョロキョロと物珍しげに周囲を眺めて、落ち着かない様子。
「しっかし、すごいわねぇ。隊長のお宅って!」
  こんな大きくてびっくりしちゃった!と、ルナマリアはご機嫌だ。
「まぁ、そりゃそうよね。元評議会議長のお屋敷ですものねぇ〜」
  レイは特に何も言わない。
「よーっく考えるとさ、隊長って・・お坊ちゃまだったのよね」
  当たり前なんだけど、すっかり失念してたわ!っとルナマリアは楽しそうに続ける。
「あーもう、頑張っちゃおうかなーわたし!」
  ふふふ。っと楽しそうなルナマリアに冷静なレイが一言。
「隊長には婚約者のラクス・クライン嬢がいる」
「む!」
  出したわね、その名前。とばかりにぷくーっと頬を膨らませてレイを睨むルナマリア。
「わ・・わかってるけどぉ、ほとんど会えない婚約者より、毎日会える可愛い娘の方がいいでしょー?ね、シン?」
  自分で可愛いって言ってしまうところがルナマリアらしい。
  同意を求められて困ったシンは、とりあえず曖昧に返事をしておくことにした。
「う・・うん」
  その返事に気を良くしたルナマリアが更に続けようとしたとき、応接室の扉が開いてイザークが入ってきた。
  レイとシンは、ほっとしたが、でもすぐに複雑な気分になった。
  ルナマリアとて同じらしく、何を話したらよいのかと一生懸命話題を探す。

 イザークはそんな3人を気にすることもなく出された紅茶を無言で飲んでいる。
  たとえばこれがアスランであれば、多少気を使ってなにか話題を提供するのだろうが、イザークに限ってそんなことは絶対しない。
  なんだかんだと昔から気が合わずにトラブルの多かったアスランのことではあるが、生死を共にした戦友である彼の存在は、イザークにとってはかなり大きなものであり、その思いも今では他人事ではないのだ。
  アスランに対しての自身の次に取るべき行動を模索するのに集中していて、はっきり言ってしまえば目の前の3人なんてどうでもよかった。
  相変わらず厄介な奴だ。イザーク深くため息をついた。

 一方、そんなイザークを前にため息をつきたいのは3人の方も同じである。
  この無言空間をどうしたらいいのか・・。
「え・・っと、あの、これ!」
  意を決したとばかりに、ルナマリアが声をあげる。
「綺麗な薔薇ですね!先ほど庭に咲いていたやつですよね?」
  できるだけ引きつらないように懸命に微笑みながら、ルナマリアがテーブルの真ん中に飾ってあった薔薇を指差した。
  思考を邪魔されたことに対し、ジロリと無表情のままルナマリアを見てイザークはまた一つため息をついた。
  アスランがこの場に居ない以上、やはりこの3人の相手は自分がするべきなのか。と諦めのため息である。
「レノア殿の薔薇だ」
「レノアさま・・?」
「・・」
  そこから説明しなければならんのか。面倒な・・。
「アスランの母親だ。生物学者で、ほら、そこに写真がある」
「わー!ザラ隊長とそっくり!!」
  言われて写真に走り寄ったルナマリアに、奴が似てるんだ。との突っ込みは、あえて口にはしない。
  そっくり!という言葉に興味をそそられたのか、シンとレイもルナマリアの近くに行って写真を見た。
  部屋の片隅にいくつか並べられている写真。そのなかに柔らかく微笑む女性の姿があった。
  アスランと同じ宵闇の髪を持つ、それは美しい女性だ。たしかに瓜二つ、と言ってもいいほど良く似ている。
「ということは、このオトコの人がパトリック・ザラ?」
  並んで立っていた写真に、何気なくルナマリアが呟く。
  イザークは何も答えなかった。
  厳格な急進派として想像していたパトリックのイメージ。
  でも写真の人は、どちらかというと穏やかな顔をしていたので、ちょっと意外だとルナマリアは思った。
「シブイけど、素敵。レノアさまとお似合いってカンジ」
  なんとなく仲の良い家族像が浮かんできて、ルナマリアはふふふ。と微笑んだ。
  きっと、笑い声が耐えない暖かい家だったのだろうと、シンやレイも少し穏やかな気持ちになった。
「今は一人だがな・・」
「え・・」
  ポツリと無表情のまま呟いたイザークに、3人は言葉を無くす。
「レノア殿はユニウスセブンで亡くなった」
「!」
「パトリック氏はヤキン・ドゥーエで」
  ・・アスランの目の前で。とまではイザークは言わなかった。言う必要もないだろう。
  同情してほしいわけではない。ただ事実を言うだけだから。
「この家がどんなに広くても、住人はもう奴一人だ」
  笑い声など・・果たしてまたこの家で聞くことができるのかどうか。
  最後の住人ですら、いつ消えるか分からないのに・・とそこまで考えてイザークは軽く頭を振り、自身の愚かな考えに自虐的な笑みを浮かべた。


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