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  『イザーク・ジュールが、あのアスラン・ザラ嬢と婚約した』

 休暇明け早々、クルーゼ隊に飛び交ったそんな噂の張本人であるイザークは、傍目にも分かるほど超絶不機嫌だった。
  全身から溢れんばかりの強烈な電磁波を撒き散らし、肩を怒らせながら靴音も荒く颯爽と通路を歩く彼に兵士達は皆さっと体を避けて視線を逸らす。
  声を掛ける者が居ないのを良いことに、イザークはただ悶々と自らの思考の海にどっぷりと浸かり、何故だ?どういうことだ?!グルグルと答えの見えない問いかけを何度も己に繰り返しては、更に苛立ちを増幅させていた。
  だからつい、食堂に入って見慣れた浅黒い肌を持つ幼馴染の顔を見つけたイザークは、猛烈な勢いで彼の元へ突進し、そのまま胸倉を掴み上げて叫んだのだ。
  一体全体っ!
「俺が何したって言うんだ!ええっ!?ディアッカ!!」
「ぐぇ・・?」
  カエルが潰れたような悲壮な呻き声を上げたディアッカは、この突然の仕打ちと物言いに、他人より遥かに優れている頭を持ちながらでさえ、付いていけなかった。それどころか、ぎゅうぎゅうと締め付けられガクガクと揺さぶられる苦しさのあまり、生理的な涙さえ浮かんでくる。
  あ、俺・・もう駄目かも。
  容赦の無い八つ当たりにいよいよ覚悟を決めた時、黙って傍観者に徹していた同僚達は流石に限界を感じ取ってくれたのか、やっと2人の間に割って入ってきた。
「おいおい、イザーク。放してやれよ、それ以上は流石にディアッカでも死ぬぞ〜」
「何したのかは知らないけど、しようとしてるのは同僚殺し?」
  無理矢理ディアッカからイザークを引き剥がしたミゲルが呆れたように諭すその横で、急激に肺へと送り込まれた酸素によって大げさに咽ているディアッカの背を擦ってやりながら、ラスティが面白そうに茶化してくる。
「誰が同僚殺しだ!第一、このくらいで死ぬような軟弱者など、ZAFTには必要ない!」
  人聞きの悪い!と、腰に手を当てて仁王立ちしながら堂々と宣言するイザークは、このくらいって・・俺、意識が遠のきかけたんですけど。とディアッカがミゲルに泣きついていることも綺麗に無視している。
「はいはい、左様でございますか」
  ここで逆らえば、すかさず拳が飛んでくるのことを、有り難くない経験上理解している世渡り上手なラスティは、両手を挙げてさっさと降参の意を示した。
「それで、アスラン嬢と何があったんだ?」
  しかし尚も、いきなり確信に触れる発言をする怖い者知らずなラスティに、ミゲルとディアッカはギョッとしながら、慌ててイザークへと視線を走らせる。
  案の定、イザークの額には見た目にもはっきりと分かるくらいの青筋が、くっきりと浮かび上がっていた。
「どうして貴様が知っている!」
「どうしてって・・・もう、みーんな知ってるぜ?」
「なんだとぉ?!」
  アスランとのことはまだ正式に公表されていないはずだ。
  だとするなら出所は・・・。
「ディアッカ!貴様ぁ!!」
「お、俺じゃないっ!違うって、マジで!」
  エザリアには事前に硬く口止めしてあった。相槌しか打たない男、パトリック・ザラは論外だし、おそらく婚約を良くは思っていないであろう、アスランが無闇に言いふらすとも思えない。
  だとしたら弾き出される答えは一つではないか。
  イザークが事の次第を全て話した相手といえば、あとはディアッカだけなのだ。

 猛烈な勢いで追いかけるイザークと、弁明しながら食堂のテーブルの周りをグルグルと必死で逃げ回っているディアッカの2人が周囲へと撒き散らしている二次災害を、身軽な動作でひょいひょい避けながら食堂へ入ってきたニコルは、相変わらず仲がいいですね。などと、穏やかな口調でミゲルとラスティに帰還の挨拶してくる。
  自宅を出る際に、自分の母から渡されたお手製のクッキーが入った箱をニコルがテーブルの上に広げると、示し合わせたようにラスティとミゲルが人数分のコーヒーを取りに向かった。
「イザーク、ディアッカ、お茶にしませんかー?」
  一通りテーブルの上にお茶の準備が整ってからニコルが声をかけると、二人はピタリと追いかけっこを止めて、戻ってきた。
  何故なら此処はむさ苦しい男所帯の戦艦で、例え茶といえども、ノンビリ優雅に取れるわけではない。むしろそんなものとは無縁の世界だ。
  成長期真っ只中にあるメンバーの顔ぶれからも想像出来るように、支給される食事ではないもの、つまりこういった差入れまがいの菓子などは特に、争うようにそれぞれの胃袋の中へと消えて行く。
  モタモタしてれば食いはぐれるのは当たり前。全ては弱肉強食なのである。

 腹も満たされ、コーヒーも飲んで少しは落ち着いたらしいイザークだが、相変わらず顔に張り付いている『不機嫌』の文字に、全員が苦笑を隠せない。
  ラスティが最初にイザークの婚約話を聞いたのは整備班の人間からだったし、ミゲルには通信士から聞いたというオロールから伝わってきた。ということは、整備とブリッジクルーは、もうほぼ全員が知っているのだろうし、彼等と関わることの多いミゲル達MSパイロットの耳にだって自然と入っていると考えられる。
「ニコルは誰から聞いたんだ?」
「僕は隊長ですよ。報告書を提出しに行ったときにその話が出たんです」
「・・・」
  当然のように婚約を知っていたニコルに、ディアッカが問いかけた答えによると、すでに事はクルーゼの耳にも伝わっているらしい。
  もはや、出所不明ながらも、クルーゼ隊全員がイザークの婚約話を知っているのは間違いなかった。
「それで、アスラン嬢と何かあったんじゃないの?」
  再び問いかけてくるラスティにイザークも諦めたのか、どうやらも隠すつもりも無いらしく、一つ大きく溜息を付いてから事の経緯を掻い摘んで簡単に話し出す。

 初めて会った日から、イザークは出来る限りアスランと一緒にいる時間を作った。
  軍人であるイザークは、一旦任務に着いてしまえば彼女と会うことが出来なくなるし、敵の動向次第でそれは長期に渡る場合もある。
  エザリアに半分強要されたという経緯もあるが、婚約者である以上、休暇中はなるべく共に過ごす時間を作るのは婚約者としての責務だとイザークも思ったからだ。
  だから柄にも無く、花束や菓子、時にはぬいぐるみ(←これにはかなり抵抗があった)などを購入しては、毎日は無理でも出来る限り足繁くザラ邸へ通った。
  アスランも昼間はカレッジに通っている学生である為、長時間一緒に居ることは叶わずに、茶を飲みながら他愛も無い話をしたり、庭を散歩する程度の付き合いだったのだが、それでも2人の間は上手くいっていた。
  いや、上手くいっていたと思っていたのだ、イザークは。
  昨日、別れ際にあんなことを言われるその時まで。

「何、言われたんだ?」
「・・・」
  そこまでは珍しくも饒舌に語って聞かせたイザークの話が、そこでピタリと止まってしまったことが、事の深刻さを物語っているようで、続きを促したミゲルですら緊張してしまう。
「もう、」
「もう?」
  歯切れの悪いイザークの言葉に、ラスティが鸚鵡返しをしながら首を傾げる。
「来ないで欲しいと言われた」
「「「「は?」」」」
  そして出てきたその答えに、4人共間抜けな声を上げてイザークを注目した。
  視線を浴びたイザークの機嫌と顔は、一気に急降下していく。
「「「「・・・」」」」
  微妙な沈黙が流れる中、最初に口火を切ったのは、
「それって振られてんじゃん!」
「ばっ・・!ラスティ!」
  ハッキリ言っちゃったラスティの口を、ミゲルが慌てて塞いだ。
  イザークの沸点が限界ギリギリのコンディションレッド発令中に、何て無謀な発言を!
  その場の誰もがそう思ったのだが、
「・・・・・」
  しかし、予想に反してイザークは俯いて静かに座ったままだった。
  背後にグルグルと渦巻くどす黒いオーラを背負いながらも、深刻な様子のイザークに、どうやらこれは本気で悩んでいるらしいと感じ取った面々は、顔を見合わせる。
  何しろイザークが女性関係で悩むなどということは、空から槍が降ってきても可笑しくないと言えるくらいの青天の霹靂な出来事であり、まさかそんな事態に居合わせることになろうとは、思いも寄らなかったからだ。
  しかし、日頃は馬鹿をやっている同僚達でも、実は意外と友情に厚い面々だったりする彼等は、イザークのために腰を据えて相談にのってやることにした。

 物事が起こる為には、必ず原因があって、そして結果がついてくる。
  だからきっと、その言葉の根本となった何かがあるはずだ。
「つーか、原因に心当たりはないワケ?」
「あったらこんなに悩みはせん!」
  そりゃそうだな。
  一応無難なことを言ってみたディアッカは、お約束とばかりに怒鳴られて、肩を竦めてみせる。
「でも、何も無いのにそんなこと言われるはずないじゃありませんか。よく思い返してみてください」
「むぅ・・・」
  穏やかな口調でニコルに諌められたイザークは、椅子に座りなおし、冷静に考え直してみるが、やはり分からない。

 農業学者だった母を持つアスランは、イザークと話をしている最中も、ザラ邸の庭に咲いている色とりどりの花々を見ていることがあった。
  だからおそらく彼女は、花を愛でるのが好きであることは間違いないから、毎回持っていった花が原因とは思えない。
  菓子についても、普段ザラ邸で出されるようような無難なもの(といっても高級菓子)を選んでいたつもりなので、喜ばれていたかどうかはともかく、嫌がられていたとは思えない。
  イザークとしては不本意だったが、ディアッカにお勧めだと言われ地球から取り寄せたぬいぐるみに対してだって、嫌な顔もせず微笑んで受け取ってくれた。
  最近はお互いの存在やペースにも慣れて、初日こそとんでもない醜態を晒した会話だって、それ以降は無難に乗り切っているはずだ。

「まぁ・・・今時、ご趣味は?は無いよなぁ」
「煩いっ!」
  真剣に悩んでいる横で、茶化すように割り込んでくるミゲルに、イザークは思考を中断し、思わず叫んだ。
「でも、興味ありますね。アスラン嬢の趣味って何だったんですか?」
  まぁまぁ。とニコルがイザークを宥めるが、やはり才色兼備と名高い彼女の趣味となれば、気になるものだ。
「・・・解らん」
  しかし、イザークから返ってきた答えは、些か煮え切らないものだった。
「え?でも、聞いたんじゃないんですか?」
「聞きはしたが・・・」

『趣味、ですか・・・イザーク様は何だと思いますか?』
  にっこりとこちらを見上げながら、首を傾げて可愛らしく問いかけてくる彼女に、そんなこと俺が知るわけなかろうっ!と常日頃なら怒鳴り散らしているであろうイザークとて、それを言うことは出来ず、
『音楽鑑賞・・とかでしょうか?』
  あの時の動揺を引き摺ったまま、そんな脈絡も無いことを言ってしまった。
『・・・嫌いではないです』
  変わらぬ微笑と共に返ってきた返事から、どんな音楽を聴くのかという話題へと続き、あの場をなんとか乗り切ることが出来たのだから、あれはあれで助かったとはいえ、今改めて考え直してみると、結局彼女の趣味を聞いていないのだった。

「ああ、そうだ。これをやろう」
  何かを思い出したらしいイザークが、小さなディスクをぽいっとラスティに放り投げる。
「ん?・・・これっ!!どうしたんだ?」
  受け取ったラスティは、驚いて声を上げた。
  それはまだ発売前のラクス・クラインのNEWアルバムで、しかもサイン入りだった。
「アスラン嬢が友達らしくてな。貰ったんだが、俺はいらん」
  友人であるラクス・クラインの曲を良く聞くのだと言ったアスランに、イザークは自分も彼女の曲を嫌いではないと話をした。彼女の曲はプラントでよく流れることから耳にすることも多いし、嘘をついていることにはならないだろう。
  共通の話題が見つかると、やはりその話で盛り上がるのは自然なことで、ラクス・クラインについての話は2人の間でもよく出た話題だった。
  それならと、アスランが持っていた貴重らしい?ディスクを貰ったのだが、イザークはそこまでFANというわけではないし、どうせなら大のラクスFANであるラスティにあげようと思ったまでだ。
「そういえば、ラクス嬢はアスラン嬢と仲が良いらしいですしね」
「ああ。そうらしいな」
  ニコルがコーヒーを飲みながら思い出したように言うと、イザークも肯定を示す。
  アスランとラクスは、同じカレッジに通っているらしく親友とも呼べる存在なのだとアスランから聞いていた。
  そしてニコルが軍役についていない時は、個人でピアノのリサイタルを開くなど、小規模ではあるものの、音楽活動を行っているため、ラクスとも面識があることも知っていた。
「あ、じゃあこれも聞きました?アスラン嬢は前にも他の人と婚約していたって」
  しかし、この一言でピタリとイザークの動きが止まる。
  初耳だった。
「えー、そうなん?」
  そんなイザークに気付かないラスティが暢気な声を上げると、ニコルもそのまま先を続けた。
「ええ、ラクス嬢から聞いた話ですから、間違いないです。正式に公表はされる前に破談になったみたいですけど」
「あー、もしかして、その相手とよりが戻った・・・とか?」
  だから、もう来ないで欲しいってことなのかなぁ?
  そっか。そうかもなー。などと納得しているラスティに、イザークの様子に気付き、横で見ていたミゲルとディアッカはハラハラしている。
「そんなこと・・・無いとは思いますけど」
  どうなんでしょうね。
  ラスティに返答をかえしながらも、イザークの背負っている暗雲が、これ以上無いというくらいどす黒くなっていることにようやく気付いたニコルは流石に苦笑いをする。
「破談の理由は、何だったんだ?」
  黙って聞いていたイザークから発せられた低い呟きに気圧されながらも、ニコルは曖昧に返答を返した。
「さぁ、そこまでは・・・」
「・・・」

 アスランはイザークと会っている時、いつも口元に微笑を浮かべて佇んでいる。
  彼女が声を荒げたり、怒っている姿などは見たことがない。というか、想像も出来ない。
  どんな話をしても穏やかに聞いていてくれるし、冗談を言えば笑顔も見せてくれる、イザークには勿体無いくらいの、本当に良く出来た女性だ。
  しかし時々、終始崩されないその微笑の裏で、彼女の意識はここではないどこか遠くを見ているような。そんな印象を与える女性でもあった。
  以前の婚約者とのよりが戻った。だとぅ?
  だが、それならあの態度にもつじつまが合うではないか!

 ということは、自分はやはり本当にアスランに振られたのだろうか。

「まぁ、いいんじゃね?イザークは元々婚約するの嫌がってたんだし?」
  励ますようにディアッカが、ポンポンとイザークの肩を叩く。
  バシッ!とすかさずその手を叩き落としたイザークに、痛ぇー!と苦情を叫ぶディアッカなど当然無視する。

 そうだ。その通りだ!
  元々この婚約は、イザークが望んだものではないし、出来ることなら破談にしたかったもの。それならそれで良い理由になるし、自分にとっても都合が良い。

「勿体無ぇ〜。なら、俺立候補しちゃおうかな」
  紅のエリートじゃないけど、俺の戦績ならいけると思わねぇ?
  ニヤリと笑うミゲルに、ラスティが両手の平を上に向けて、呆れたように首を振り、
「なら、僕も立候補します。紅ですし、イザークと条件は同じはずです」
  父に通信で頼んでみようかな。僕、密かにアスラン嬢に憧れてたんですよね。
  などとニコルが呟いているのも綺麗に無視する。

 都合は良い・・・はずなのに。
  こいつらの勝手な言い分を聞きながらも、なぜ自分はこうまでイライラするのだろう。
  そもそも、その相手というのは一体どこのどいつだ!
  この俺よりも、その男の方が良いと!優秀だとでもいうのか?

「そんなこと、納得できんっ!」

 ダン!!
  怒鳴りながら拳をテーブルへと叩き付け、立ち上がったイザークは心に誓った。
  今回の任務が終わり次第、その相手とやらをつきとめ、勝負してやる!
  そして・・・。


「俺は、絶対っ勝−−つ!!」


 来ないで欲しいと言われた事など綺麗さっぱり忘れ、拳を振り上げ燃えているエースパイロット、イザーク・ジュールを抱えるクルーゼ隊が、オーブ領ヘリオポリスに潜入。G奪取作戦を展開し見事な戦果を上げたのは、この数日後のことだった。


2005.09.10

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