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  『テヤンデェ〜イ!』
  誰が教えたわけでもないのに、そんな言葉を発しながらパタパタと膝の上で動いているピンクハロを嗜めながら、アスランは手際よくメンテナンスをしていく。
  アスランの自室には全体的に丸みを帯びたシルエットの、クッションが良く効いている淡いクリーム色のソファーが2つ向かい合うように置かれており、本来なら3人で使用するそれを、2人の少女が一つずつ占有していた。
  このハロと呼んでいるマイクロユニットは、以前アスランが製作したものだが、テーブルを挟んだ向こう側で入れたてのアッサムティーを味わっているピンクの髪を持つ愛らしい少女が、このピンクハロの現在の持ち主だった。

「またご婚約なされたそうですわね」
  レコーディングに行く途中、少し時間が取れたからとザラ邸へ立ち寄った彼女が、ふんわりとした笑顔を向けて来るのに、アスランは作業の手を止めて、自らの隣に鎮座するように置かれている大きなクマのぬいぐるみをチラリと盗み見た。
「もうラクスのお耳に入ってるのですか?」
  一週間ほど前に父によって決められた婚約は、いずれ時期を見て公表されることになっており、まだ親しい間柄だけの内密な話とされているはずなのに、彼女の情報網には相変わらず脱帽する。
「ええ、お父様から伺いましたの」
  再びメンテナンスを再開したアスランを眺めながら、ふふふ。っと小首を傾げるラクスは、プラントの歌姫と呼ばれる程有名なアイドルであり、現最高評議会議長シーゲル・クライン氏の愛娘である。そして、アスランの父である国防委員長パトリック・ザラと彼は旧知の仲であるため、おそらくそのあたりから話が伝わったのだろう。
  元々プラントでも一、二を争う名士である二つの家の交流はかなり深いものだったが、娘同士が初めて会ったのは1年と半年前のことだ。だが、2人はすぐに意気投合し、今では親友という間柄であった。
「父上にも困ったものです」
「あら、おじ様はアスランのことを、心配なさっているのですわ」
「そうでしょうか・・・」

 1ヶ月前、突然パトリックはアスランに婚約者を決めてきた。
  アスランは今年で15歳になった。
  年齢から言えば早すぎるということは無いが、本人に承諾無きまま、いきなりの出来事に、普段からパトリックに従順なアスランといえど閉口してしまったほどだ。
  月で暮らしていた頃は、母レノアの方針で自由奔放に・・・まるで男の子のように過ごしてきたアスランだったが、プラントに戻ってからは、父の希望により、ザラ家の息女として恥かしくない教育を受けさせられた。
  常日頃から激務に追われているパトリックとの、親子の触れ合いは決して多いとは言えないものの、父はアスランを1人の親として愛してくれているものと信じていたし、アスランも父のことが好きだった。
  だからこそ父の期待に応えるべく努力し、幸いなこと優秀だったアスランは飲み込みも早く、一人称も自然に『僕』から『私』へと変わり、今ではどこに出ても恥かしくない教養と品性を備えた淑女へと成長していた。
  人前に出るのが少し苦手で、社交界など正式な場に参加したことは数えるほどしか無いとはいうものの、それでもパトリックの自慢の一つとなっているはずで、だから当然、パトリックが一人娘である自分を手放す気など毛頭無いと思っていたのだが、父が決めてきた婚約者は意外な人物だった。

「それにしても、この間のような方は流石に・・・」
  先日までの婚約者の顔を思い出して、アスランは眉間に皺を寄せ苦渋の色を示す。
「ユウナ様ですか」
  メンテナンスの終わったハロをラクスへと渡したアスランは、何となく手元が寂しくなって、隣のクマを引き寄せた。その様子を眺めながら、ラクスは静かにアッサムティーの香りを楽しんでいる。

 オーブ連合首長国でも名家だと言われるセイラン家の長男、ユウナ・ロマ・セイラン。
  友好国でもあるオーブとの今後の外交を考えてれば、これ以上にない良縁のように思えるこの婚約に、パトリックは乗り気だった。それ故に、仕方なく承諾したものの、いざ本人と対面して激しくそれを後悔させられることになる。
  ひょろりとした長身や、癖のある髪からはワカメを想像したし、口調や仕草から感じられるネチネチとした雰囲気に、嫌らしそうな目つきが生理的に受付なかった。
  そしてなにより、彼は馬鹿だった。
  アスランは今まで気付かなかった事実を、彼によって気付かされたことには少しだけ感謝している。
  彼はナチュラルだし、コーディネイターのアスランと比べれば能力が劣るのは当然なのだが、ここで言いたいのは学力とか運動神経など、そういった次元の問題ではなく、彼の思考の稚拙さにある。
  よく考えてみれば、アスランの父も母もプラントでは優秀な人材だし、親友のラクスも聡明な女性で、幼馴染のキラも、そういえば頭の回転が速かった。

 そう、アスランは自分より馬鹿な者が嫌いなのだ。

 勿論、単なる友人として付き合う分には何も問題ないのだろうが、それが自分の婚約者・・・いずれは結婚する相手となれば、恋愛感情までは期待しないとしても、やはり尊敬できる対象であって欲しいと思う。
  だから、ユウナが訪ねて来るのはアスランにとっては苦痛以外の何者でもなく、なるべく目を合わせないよう終始俯いて、時が過ぎるのを必死に耐える日々を過ごしていたのだが、先日、何を思ったのか彼は、その態度を照れて恥かしがっているものと捉えたらしく、いきなり近寄って手を握ってきた。
  ザワリと背筋を走った悪寒に言葉も無く硬直していたアスランは、彼のもう片方の手によって腰を引き寄せられる寸前で我に返り、ユウナの頬を思いっきり平手打ちした。
  その場にへたり込んで『ママ〜!』とか叫んでいるユウナを無視して、アスランは足早に部屋へと戻ってしまったのでその後のことは分からないが、ザラ家の息女らしからぬその行為は、父が手を回してくれたのだろう。とりあえず、騒ぎにはならなかったようだ。

「でも本当はアスランも分かっていらっしゃるのでしょう?」
「・・・」
  父が、アスランの婚約者を決めたいと思っている背景にあるもの。
  それが母の死であることは明白だった。

 プラントに移住して一年が過ぎた頃、農業学者だった母が訪れていた農業コロニー『ユニウスセブン』に、地球連合軍により一発の核ミサイルが発射され、ユニウスセブンは一瞬にして崩壊した。そして母も帰らぬ人となり・・・戦争が始まったのだ。
  国防委員長である父の仕事はますます忙しくなり、家を空けることも以前に増して多くなったし、戦争の激化に比例するかのように、ブルーコスモスのテロも増え、父の身辺だけでなく、ザラ邸の警護も強化された。
  だからこれは、アスランのためを思ってのことなのだろう。
  パトリックに何かがあったとしても、娘を守る『誰か』。
  それを父は望んでいるのだ。
  だが、もし父が倒れたなら、ザラ家に利用価値など無くなる。そんなザラ家を守ってくれる物好きがいるとは到底思えない。
  父の気持ちは嬉しいが、それを思えば全てが無駄な気がする。
  アスランの価値など、ザラ家の息女というだけなのだから。
  ユウナなんて、真っ先に逃げ出しそうではないか。

「ですが、今回は上手く行きそうですわね」
  そんな暗い思考を払拭するかのように優雅な笑みを浮かべるラクスに、アスランは両腕でクマをぎゅっと抱きしめる。
「どうして・・・そう思うのですか?」
「だって、お相手は、イザーク様でしょう?」
  チクリと、胸が痛んだ。
「お知り合いなのですか?」
「いえ、何度かお見かけしたことがあるだけですわ」
  食事に行っただけだと思っていた料亭で、パトリックは突然それがお見合いであることをアスランに告げた。父の同僚であるエザリア・ジュール女子の子息とだけ説明を受け、あとはただ相手の言うことを聞いていただけような気がする。
  綺麗な男の人だとは思ったが、特に興味も無かった。
  ラクスはパーティ好きだし、彼とも社交界で会うのかもしれない。
「イザーク様といえば、有名な方ですもの」
  アスランの新しい婚約者の名は、イザーク・ジュール。
  ジュール家といえば古くからの名門であり、彼自身も容姿端麗、文武両道。非の打ち所の無い紳士。現在もZAFT軍のエリートでもある紅を纏い、将来を期待される若者の代表格とも言われる彼は、良家の息女であれば誰もが憧れるプラントのプリンス的存在だった。
  勿論それをアスランが知ったのは、見合いの行われた数日後のことだったのだが、ラクスの言うように、世間ではかなり有名な話らしい。
「そう・・ですね。でももう、此処には来ませんよ」
「あら?どうしてですの?」
  来ないで欲しいと、アスランが言ったから。
「・・・」
  でもそれをラクスに言うのも憚られ、アスランは口を噤んでしまう。

 最初は、父が用意したレールの先にいた彼は紳士だったし、優秀で馬鹿でもないから、このまま結婚してもいいかもしれないな。
  漠然とそう思っていただけだった。

 イザークはいつも何か贈り物を持って現れる。
  花束だったり、お菓子だったり。青いリボンの付いた、この大きなクマのぬいぐるみも貰った。(地球でテディベアと呼ばれているらしい)普通の女性が喜びそうなものだと思った。
  本来そんなものでアスランは喜びはしないが、見かけによらず男っぽい性格の彼が、普段花など愛でる人ではないことが鈍いアスランでも何となく分かっていたし、甘い物が苦手だと言っているのに、お菓子に詳しいはずもない。だからいつも、かなり神経を使って選んでくれているのだろうと思った。
  そんな誠実さに触れてしまえば、何を貰ってもやはり嬉しいと感じたし、素直に微笑むことが出来たのだ。

 けれどアスランは気付いてしまった。

 イザークは、ザラ邸から帰る時に必ず、次回の来訪予定を告げていく。
  律儀な彼らしいとは思っていたけれど、繰り返すうちにふと気付いたのだ。
  無意識ではあるけれど、自分がカレンダーを見ていることに。
  彼の来訪を、楽しみにしている自分がいることに。

 そして、もう一つ。

 初めて会った日、彼はラクスの歌が好きだと言った。
  ラクスの歌は、アスランも大好きだったから、2人の間で彼女の話題が出ることも必然的に多くなる。
  親友のラクスの話をすることは、アスランにとって楽しいことで、つい夢中になって話してしまうことも多かったのだが、そんな時・・・普段あまり表情を変えないイザークが、時々ふっと微かに笑みを見せたのだ。

 元々この婚約はザラ家から、ジュール家に申込んだ話だと聞いたし、そうなればエザリア様の立場的には断ることなど出来ないだろう。
  父上は強引な人だから。
  イザークはアスランではなく、本当はラクスが好きなのではないだろうか。
  ラクスの曲のディスクをあげたら喜んでいたことからも頷ける。
  ちょうど休暇が終わるというし、それならいっそこのままお別れした方が良いだろう。
  そう思ったからアスランはイザークに言ったのだ。
  もう来ないで欲しい。と。

 アスランは、抱きしめていたクマの頭を、ぽすんっと叩く。
  でも何かすっきりしなくて、ふわふわとした肌触りの良い毛並みに、ぱふっと顔を埋めてみる。
  そんなアスランを暫く見ていたラクスは、苦笑しながら、ゆっくりとカップをテーブルのソーサーの上へと戻した。
「今日のアスランは、情緒不安定ですのね」
「え・・・そうでしょうか?」
  いきなりそんなことを言われ、アスランは思わず顔を上げる。
  でも、確かにそうなのかもしれない。
  最近何をやっても集中できないし、趣味のマイクロユニット製作でさえ、作りかけのまま机の上に放置されていたりする。
「アスランは素直じゃありませんわ。本当は、イザーク様がお好きなのでしょう?」
「・・・す・・き?」
「はい」
  にっこりと微笑むラクスの言葉を自分の中で反復してみる。
  好き?私が、イザークのことを・・・?
  アスランは、まだ初恋というものを経験したことが無い。
  月で幼い頃から一緒にいた幼馴染のキラのことは好きだったけれど、それを初恋と呼ぶのかと聞かれたら、少し違うような気がする。
「わから・・ない。分かりません、ラクス」
  恋をしたことが無い上に、本人に自覚は無いが、そういった感情が他人より極端に鈍いアスランには、それが何なのか判断することは出来なかった。
「そうですか。では質問を変えますわ。アスランは不安なのではありませんか?イザーク様の気持ちがどこにあるのか。それを知りたいのではないですか?」
「不安・・」
  確かに。そうなのかもしれない。
  イザークの想い人はラクスだと思うけれど・・・確認した訳ではない。
「イザーク様の気持ちをはかりたいのでしたら、良い方法がありますわ」
「良い方法?」
「ええ。少し無理なお願いをしてみるのです」
「無理なお願い・・ですか?」
「男の方は、お好きな相手の我侭は嬉しいものですもの。アスランのことを想っていてくださるなら、きっと叶えて下さいますわ」
「・・・我侭」 
  父を強引だとは思っても、アスランのためを想ってしてくれている行為が殆どであったから反発したことなどは無いし、優しかった母に対しても不満を持ったことなどない。そんなアスランは考えてみると、我侭というものを言ったことがないかもしれない。
  両親に対してもそんな感じなのだから、他人に対しては尚更だった。
  優しく微笑むラクスの言葉通りに、我侭を言ってみようか。
  イザークは聞いてくれるだろうか。
  そうしたら、アスランはもう少し自信が持てるかもしれない。


  レコーディングへと向かったラクスを見送ってから自室へ戻ったアスランは、机の上に置かれているPCの、メールランプが点滅していることに気付いた。
  あ!
  急いで電源をONにして、メールソフトを立ち上げたアスランは、内容を確認し・・・そして、肩を落とす。
  まただ。
「キラ・・・」
  定期的に必ず届いていたキラからのメールが、ここ数日ぷっつりと途絶えていた。
  それどころか、アスランから送信したメールでさえも、エラーで戻されてしまうのだ。
  月で別れるときは、いずれキラもプラントに来るものだと思っていたけれど、よく考えてみれば彼の両親はナチュラルだったから、プラントで生活するには少し厳しい現実があった。
  結局キラはプラントではなく、ナチュラルとコーディネイターが共存する国、オーブへと渡ったのだが・・・キラに何かあったのだろうか?
  ぷちん。とPCの電源を切って、アスランはソファーへと移動する。
  鎮座しているクマをぺしっと叩くと、ぽとんっと何の抵抗もなくそれは床へ落ちた。
「・・・」
  アスランは無言で床に落ちたクマを拾い上げ、ぱんぱんっと付いてもいない埃を払う。
  そしてクマを抱いてソファーに座ると、そのままコトンと横に倒れた。

 ・・・なんか寂しい。

 最近また父も忙しいらしく、家に戻って来ない日が続いている。
  ラクスだって仕事があって、あまり遊びに来てはくれない。
  キラのことを確かめたくても、オーブは地球で・・・プラントは宇宙にある。
  イザークだって、今は任務で宇宙のどこにいるのか分からない。
  今、アスランの側にいてくれるのは、結局このクマさんだけなのだ。

 寂しいだなんて・・・最近は思ったことなど無かったのに。
  ラクスの言うように、アスランは本当に情緒不安定なのかもしれない。
  地球に行ってみようか。キラを探しに。
  父上にお願いしてみようか。
  これって我侭かなぁ・・・?

 ぎゅっとクマを抱きしめたまま、ぼんやりと考え事をしていたら、いつの間にかソファーで眠ってしまっていたようだ。日頃からどこでも寝てしまう癖のあるアスランは、幼い頃から教育係も勤めている執事に今日もこってりと叱られてしまった。


2005.09.11

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