夜菊 >>   月下の涙 第一章

「城内に籠もる愚か者共全て殺せ!大内の血筋、今ここで俺が止めてくれるわ!」
 声を張ると同時に、本陣の前に立つ政宗は右手に持った剣を一振りした。
 だがその言葉を出した瞬間、ほとんどの者は勝利に酔っていた表情を凍らせて若き城主の方を振り返った。ある者は青ざめ、ある者は戸惑いの色を目に見えて浮かび上がらせている。やがてザワザワと周囲が揺れ出す。
 若干十八歳。家督を相続したばかりの政宗は殺伐とした戦地で一際目を引く容姿をしていた。重々しい鎧は黒の漆が塗られて漆黒の上品な輝きを放っており、兜には三日月にも似た装飾が施されている。背後にかかった伊達の家紋「竹雀紋」が風に靡いて、天が彼の勝利を祝っているかのようにも見える。
鎧から覗ける表情は凛々しいもので、右目には鎧と同じく漆で塗られた刀鍔が添えられ、爛々と輝く左目で配下の者たちを一瞥していた。
「何をしている。勝利を一つ収めたからと言って戦が終わったわけではないぞ!」
 ざわつくだけで動こうとしない兵達の様子に舌打ちする彼の背後から、音もなく小十郎が一歩進み出、政宗にしか聞こえないような声量で囁くように言葉を発した。
「恐れながら殿。城内に立て籠もる者と申しますと、女子供は…」
 およそ戦場に相応しいとは思えぬ神職にも似通った白い服をまとい、髪を一つに纏めた青年は常に冷静沈着であった。実際には思うところは人と同じく感情の動きがあるのだろうが、その表情にも声にも変化は現れない。
「こんなに傍にいてお前には聞こえなかったのか。俺は全てと言った」
 肩越しに振り返りそう言うと、再び右手を横に振り声を上げる。
「貴様ら!俺の命が聞こえぬと言うのか!主君の命も聞けぬなど、武士の風上にも置けん。動かぬ奴は前へ出ろ!その首、俺が切り離してやるわ!」
 政宗がそう言うと、それまでざわついていた家臣達は慌てて今落とした城内で怯えている女子供を、武士をそうしたように縛り上げ始めた。
 家臣達が着手したのを見て本陣に戻ろうと小十郎の横を通り過ぎた政宗の背後から、馬が一頭走ってくる。
「梵天―ッ!」
 その背に乗っている政宗と同じ年頃の髪が短い少年が、馬を走らせたまま政宗達の傍へ駆け寄ると、その背からひらりと飛び降りて政宗の目の前に着地した。
 すぐさま詰め寄り、政宗の肩を掴んで引き留める。
「今の命令取り消せ!何も女子供の命まで取らなくてもいいだろ!?」
「…お前自分が何をしているのか分かっているのか。城内ならともかく、ここは戦場だ」
「何だと!?」
「俺に軽々しく触るな」
 飛び込んできた成実と正反対の低い声で政宗が言う。
「成実殿、手を離しなさい」
「…っ」
 小十郎が間に入るようにすると、成実は突き飛ばすように政宗を離した。
「何でだよ!だって大内の野郎とか男共だけ殺しゃいいじゃねえか!」
「…」
 間に小十郎を挟んだまま、政宗は成実に掴まれた肩を埃を払うように小手で覆われた手で払った。
 それから片手を腰に添えて感情的な成実から視線を外し、遠巻きに見える小手森城を見つめた。今落としたその城は既に城壁の一部が取り壊されており、折れた刀や矢が地面の所々に落ちている。地面はあちこち血で濡れていた。
 既に城主である大内定綱の首は取った。敵方の家臣はその辺で討ち死んでいるか捉えられているか。どっちにしろ、夕刻には彼の前に名の通っている武士の首は揃えられるだろう。残された彼らの妻や子供たち、果ては老人すらも城の前に一つに纏められ、次々と縄で縛り上げられていた。
「…見せしめにする」
 ぽつりと言った政宗に、小十郎も成実も耳を立てる。
 彼の声は小さく細い。先ほどのように号令や命令という形で声を張ることはあっても、日常口にする言葉は間柄が親しければ親しい人物を前にした時ほど小さくなる。
小十郎も成実も、政宗にとっては最も親しい人物の一人だった。自然と声は抑えられてしまう。
「見せしめ?」
 素直な成実がすぐに聞き返した。
 政宗は彼を一瞥すると、再び城の方へ視線を向ける。
「いつまでも邪魔な佐竹、蘆名…。あの二家は何れ潰す。その際に敵は少ない方がいい。今この俺率いる伊達と奴らのどちらへ付こうか迷っているクズどもがいるだろ」
「白川、猪苗代、畠山…。我らの周囲にどっち付かずの諸将は多くございます」
「そうだ」
 小十郎が言葉を補い、それに頷くと政宗は成実へ身体を向けた。
「小手森城を手に入れ大内を滅ぼし、関係者を皆殺しとする。肝の小さい連中は恐れおののいて俺たちの方へ転ぶだろう」
「じゃ…じゃあ、女はいいとしてもせめて子供とか老人は…!」
「小十郎。一番効果的な殺し方は何だ。火で焙るか?」
「…いえ。恐怖を与えるのでしたら、最も効果的なものは撫で斬りかと」
「小十郎!」
 政宗に尋ねられ無表情のまま淡々と述べる小十郎に、成実が声を上げる。
「ならそうしよう。…鬼庭!」
 不意にその名を呼んだにもかかわらず、本陣の傍にあった木の陰から一人の男が飛び出してきて地面を跳ねるようにして政宗の前に片膝を付いた。
「人数は何人いそうだ?」
「捉えました数、男女合わせまして約八百」
「八百!?」
 予想はしていたが、あまりの多さに成実が悲鳴を上げて政宗を振り返る。
 欠片の期待を持って振り返ったが、彼は残念そうに僅かに視線を下げるだけだった。
「撫で斬りだ。よく血を流すように。一番近くの畠山の所までくらい流して見せてやれ」
「御意」
 深く頭を下げてから、鬼庭は主の決定を皆に伝えるべく駆け出した。
 成実は顔を真っ赤にして政宗を睨みつける。
「八百人なんて…。見せしめなら半分だって十分じゃねぇか!どうかしてる!自分のしていることが惨いとは思わないのか!?」
「…」
 成実の言葉には返さず、政宗は背を向けて本陣前に繋げてあった黒の愛馬に乗り上げると手綱を握った。
「疲れた。俺は一足先に戻る」
「お供致します」
 小十郎が一言言ってから同じく繋げてあった自分の馬に跨る。
 それを待っていた訳ではないだろうが、小十郎が手綱を握ったと同時に政宗は血生臭い戦地を後にして城へ駆け戻った。
 成実だけは舌打ちしてその場に残り、律儀にも死にゆく八百人に対して日が暮れるまで黙祷を捧げ、彼らの姿を眺めていた。


 城に戻った政宗は早々に鎧や兜を脱ぎ捨て水を浴びた。
城の裏には近くの川から引いてきた雪解けの清らかな水が溜められ、緩やかな水面を輝かせていた。周囲は立派な松が植えられているが、この季節、それよりも鮮やかに目を引くのは紅葉だった。同時に柚の香りも漂う。
「…」
 底冷えするような冷たい水に身を任せ、政宗はぼんやりと夕時空を眺めていた。
 戦の終わりは常に身を清める。あの戦場に満たされている血の匂いも熱気も、しばらくこの場所にいれば洗い流され、代わりに柚の香りが彼の身体に染み込む。
「失礼致します。殿」
 小十郎が、着物が濡れるのも気にせず水場の縁に跪いた。
 他の者は濡れていない遠くで座するというのに、小十郎は常に傍に来て控える。
 政宗は小さな水音を発てて身体を起こし、濡れて頬に張り付く邪魔な髪を払った。
「何だ」
「先ほど捉えました大内定綱、影武者にございます」
「影武者?…本物はどうした」
「畠山の元へ逃げたものと思われます。忍を放ちましたので、今晩には確認が取れるでしょう。如何致しますか。書状を送り、大内を引き渡せと脅す手もございますが」
「影武者か…」
 再度同じ呟きを発し、政宗はため息を付いた。
 余りにも簡単すぎると思ってはいた。自軍の力が強いと納得すればそれまでだが、目の前の偽物に騙されている間にどうやら本物は隣の畠山の元へ助けを求めて逃げ込んだらしい。女子供を置いての逃亡。だが、不思議と大内を責める気にはなれなかった。
 それが生き延びる手段であれば、そうする主は多いだろう。政宗は決してそんな行動を取りたくはないが、実際に他者に攻められ危機的状況に陥ったのであれば分からない。この乱世、生きるということはそういうことだ。
 今頃、畠山の領地へ向けて八百人の血は流れているかもしれない。
 そう思い空を仰ぎ見た。
「放っておけ。いずれ兵が落ち着いたら畠山を潰しに行こうと思っていた。奴の元へ逃げたのなら、結果は両名とも同じだ。だが確認だけはしておけ」
「畏まりました」
「出る。着替えを寄こせ」
 すいと水を分け、政宗は小十郎のいる場所へと上がった。
 水滴が垂れる白い肌に柔らかな布をかけて軽く拭き取ると、脇に用意されていた着物を彼の腕に通した。帯で絞めた後、眼帯代わりの刀鍔を差し出す。こればかりは政宗が自分で付けるようにしていた。
 戦地と違い楽な格好で濡れた髪を片手で後ろに払い、自室へ戻る。
 外廊や内廊で彼に出くわした家臣達は道を譲り、自分よりも一回りも二回りも年下である彼に今日の勝利の讃辞を述べた。
 それらに一言感謝を述べ、家臣の功績を讃え、ゆっくり休むように言い歩いているとそれなりに時間は取られるが、優々とした城主の姿に家臣達は安堵し、皆深く頭を下げた。激しい戦の後だというのに身を清めた政宗の姿は周囲で呼ばれているような片目の魍魎というよりは、それこそ青い光を湛える宝玉のようだ。
 だがそれでも、小手森城前で出した命令が家臣達をどこか怯えさせているようだった。
 彼らは政宗の部下であるが故に、彼がそのようなことをする人物ではないことを知っていた。幼い頃から様々な不幸をその身に受けてきたが、基本は聡明で思慮深い。規則に厳しいところもあるが、それは高度な教育を受けてきた政宗の考え方からすると当たり前とも言えた。
 部屋の前へ来ると、背後に付いていた小十郎が前に進み出て襖を開ける。
 畳の上には既に布団が敷かれており、いつでも休めるようになっていた。食事も部屋の隅に用意されている。
 私的時間に部屋から出ることをあまりしない彼は、客人でも来る際は世間体のため別だが、食事のために部屋を移動するということはほとんどなかった。その時彼がいる場所に持ってこさせる。
 だが、折角用意されている膳には見向きもせず、彼は部屋に一歩入るとふっと肩から力を抜いてすぐに布団に潜り込んでしまった。うつ伏せに横になり、枕元に置いてある煙管を手に取るが、火は付けずにくるくると回して楽しんだ。
 三重の襖を閉め終えた小十郎が部屋の隅に座る。
「…成実はどうした」
「先ほどお戻りになりました。随分沈んでいるようでしたが」
「そうか…」
 短い会話を終わらせると、政宗はため息を付いて片腕を枕にかけ、そこに頭を預けた。
 成実は誠実で真っ直ぐな少年だ。今回の彼の処罰に納得いかず食ってかかったが、決定は誰にも覆せない。八百人全てを見納めることはできなかっただろうが、大方その大半が泣き叫びながら殺されていく様を忘れまいと見てきたのだろう。
 ぐったりと横たわる彼の心情を察し、小十郎が進み出る。
「お水でもお持ち致しましょうか。それともお酒か」
「いらない」
 腕に添えていた頭を更に丸めるように肩を上げ、政宗は返した。
 その様子は酷く弱々しく、儚い。戦場で大軍を指揮する彼や、さっき廊下を歩いてきたきびきびとした言動とは別人のような仕草だった。まるで子供が拗ねて引き籠もるような。
 彼に拒否されると、小十郎は再び口を塞いだ。
 やがて、顔を腕に埋めたまま政宗が小さな声を発する。
「…。俺は…やりすぎたか?」
 それはあからさまに否定を求める質問だった。
 主の望むままに、小十郎は否定する。
「いえ。時は戦乱。周囲に威圧をかけるのは必要でございました。本日の決意、お見事です」
「…」
 瞼を伏せ、ゆっくり政宗が横たわったまま顔を上げる。
 離れた場所に座る小十郎へ視線を向けると、無造作に右手をそちらに放った。
何を言われたわけでもないが、小十郎は立ち上がると傍により、その手を懐から取りだした白い布で恭しく拭いた。
 細く長い指先を白い布が拭っているのを見つめ、浮世離れした表情で再び目を伏せる。
 剣を持つ政宗の手は、戦地では紅く染まることはあまりない。彼の家臣達は強者揃いで、他者に引けを取らぬ力量を持つ政宗の元に敵陣が突っ込んでくるような危機的状況は今の所あまりなかった。彼は本陣の傍でその一滴の血も付かない美しく銀色に輝く剣を振り、自軍の指揮を取る。漆の鎧も同じだった。
 だが政宗はまるで最前線で戦う兵たちの剣や鎧に付いた血がそのまま自分の元へ染み込んでくるような錯覚を覚え、酷く戦後の自分の容姿を気にしていた。毎回欠かさない水浴びも香焚きも、全てそこから来ている。
 端から見れば一点の穢れもないように見える彼だが、自分から見下ろす手には紅い血がべっとりと染み着いて取れない。神に仕える家柄であった小十郎がその手を拭い、ようやく綺麗になるような気がするのだった。
「しばらく休んで戦の支度が調ったら、畠山を攻める。皆に伝えておけ」
 逆の手を差し出しながら政宗が言った。
「畏まりました」
「大内定綱。愚かな奴…」
 怒りを吐き出すと言うよりは哀しげな表情で、政宗は呟いた。
 そもそも、大内は伊達側に入ってきていた。彼が父親から家督を相続した際に周囲の有効的な諸将から次々と賛辞や祝いの品を捧げに顔合わせに来たが、その中に大内も来ていた。政宗は彼に送られた祝福を喜びそのまま家臣に加えたが、一年も経たぬうちに裏切り、佐竹・蘆名側へと回っていったのだ。
彼がこれを許せるはずがなかった。
こと裏切りに関して、彼は酷く怯えていた。寝首を狩られるかもしれないという恐怖ではない。むしろ、全ての人間が当たり前のように日常している“裏切り”という行為そのものに対して怖ろしく思っているのだ。
仲間の裏切り。友人の裏切り。親の裏切り…。人は必ず誰かを裏切り、裏切られる。意識無意識に関わらず。
政宗自身も勿論それを理解していた。幼い頃からハイレベルな教育を受けてきて、自身も学を求めてがむしゃらに学んだ身だ。人はそういうものだと、それ自身知識として得てはいる。どうしようもないことも分かっている。
 だが、心が追いついてこなかった。彼には心が凍っていた数年間がある。その身は十八でも、凍っていた時を引くと一気にその身の内の齢は下がった。彼は確かに聡明で思慮深く戦略や現状の整理に長けてはいたが、同時にそれらを肯定できるかというと無理だった。
 左手を拭い終わった小十郎の腕にそのまま手を置き、指に力を込めた。小十郎の袖に皺が寄る。
「…しばらく様子を見てやってもいいかと思ったが、奴を匿ったのならば畠山も早々に攻め落とす。両者許すまじ。俺を裏切った罪、万死に値する。戦の準備は万全にしておけ」
「畏まりました」
 先ほどと同じく主の命を受け終えると、小十郎は自分の腕に爪を立てている政宗の手の上に自らのを添えた。落ち着き払った双眸と静かな口調で彼を嗜める。
「もう御休になられた方がよろしいでしょう」
「忍が戻って報告を聞くまでは寝られん。大内がいないのなら畠山は後回しにするという考えもある」
「後はこの小十郎にお任せ下さい。畠山が大内を匿った可能性は高くございます。もしも大内が畠山の元から発見できなかった場合は失礼ながら御身を起こし、ご報告致しましょう。しかしそうでないのなら近いうちに戦となるでしょう。ご自覚はないかもしれませんが、その身は心身共に酷く疲労しております。御休下さい」
「…。そうか…。疲れているのか、俺は」
 自覚のない政宗には片手を額に添えて目を伏せ、息を吐いた。
 直接手は下したということはなくとも、彼の両腕と心は八百人の女子供をその手で斬り殺していた。大内の裏切りと自分の慈悲もない行為の二つに傷ついた彼は心だけでなく、戦地に赴くだけで肉体的な疲労も極限に近かった。
そして彼自身は幼い頃から自らの内に溜まる疲労というものが全く感知できなくなっていた。一種病的とまで言っていいくらい、倒れて初めて自分の疲労を理解する。戦場に出ていない頃は丸一日薄暗い城の奥底で朝から晩までぶっ通しで書を読み、何日かおきに倒れては城で抱えている医師達が慌てるというものだった。
生活係としての小十郎と勉学の教師として虎哉宗乙という人物の二人を傍に置いて、ようやく彼ら二人がその悪習慣を事前に察知し無理矢理にでも休ませるという日常がつくられたが、その際に幼身に刷り込まれた悪癖は今も治ってはいない。
 一歩部屋の外では虚勢を張っているのが常となってしまった政宗だが、自室では随分地が出るもの。小十郎からしてみれば、目に見えてふらふらになっていた。
「お前が言うならそうなんだろう。なら俺は休む」
「ええ。そうして下さい」
 白い布を懐にしまい、すっと小十郎が立ち上がった。
 反射的に政宗が顔を上げる。
 それに気づき、小十郎はようやくその凍り付いた無表情を僅かに緩めた。
「御休になるまで部屋の隅におりましょう。御用がございましたら何なりと」
「…」
 ふいっと顔を背ける。
政宗は髪を掻き上げてから枕と布団を整え、弄んでいた煙管を投げ捨てては右目の刀鍔を外した。何もない空洞の輪郭を指先で撫で、それも煙管と同じように、まるで忌々しいものでも扱うかのように畳の上へ放り捨てた。
 仰向けになり面倒臭そうに布団を両手で一度整えて横になる政宗の様子を、小十郎は部屋の隅でそれとなしに見つめていた。
 短時間で政宗が眠りに付くことは少ない。寝付きが悪い主がようやく小さな寝息を立て始めると、小十郎は安堵して無音のまま立ち上がると部屋を出た。


 数日後。
 政宗達は場所を移して小浜城にいた。こちらの方が畠山の領地に近い。少し離れた場所にある阿武隈川を挟んで畠山と領地分けがされている。戦に備えての移動だったが、政宗にとってはまた別の意味を持って内心嬉々として小浜城へやって来ていたが、彼の望む人物は既にこの城から去っていた。
 着々と畠山の所へ攻め行く準備が進むとともに、城内に残る兵士達の士気は上がっていった。目に見えて分かる変化の中にあるが、準備中というのは戦の中の少ない休息の時間でもある。日々戦いに明け暮れている兵達は雑談などをしながら、のんびりと過ごしていた。
「お?」
 そんな折、ちょうど庭の玉砂利で刀を振るっていた成実は、二の門から馬に乗って出て来る十数人の団体を目撃する。先頭にいたのは黒馬に跨った政宗だった。いつものように小十郎も傍にいる。
 異常なのは、その身支度だった。最上質の薄く美しい紫と紅葉色が混じり合う着物を纏い、その上から茶の葉色の羽織を肩にかけていた。腰には実戦中に使うものとはまた別の装飾品の類に入る刀が二本。勿論双方とも普通に切れるのだが、漆塗りの黒い本刀の先に金と銀の金具が付いていた。
「よー、梵天。ハヨーっす。大殿の所に行くのか?」
 片手を上げ、成実は馬上の政宗に尋ねた。
 城落とし当時は憤っていた彼も、日が経てば落ち着く。元より竹を割ったようなサッパリとした性格だ。戦は戦、今は今。キッチリと物事の境界線を引くことができるらしい。
「成実か」

 小十郎と何かを話していた政宗は話しかけられて初めて背後の成実に気付き、黒馬の鼻先をそちらに向けた。
「確かに父上の元へ行くが…。何で分かったんだ?」
 本来彼は小浜城で暮らしていたが、政宗が来るのであれば邪魔になるだろうと移動してしまっていたのだ。
 今から父親であり先代当主である輝宗がいる宮森城へ行くのは確かだが、確信を持って尋ねてきた彼の言葉を政宗は不思議がった。
「その着物!」
 戸惑う彼の様子に、成実は笑いながらビシッと人差し指を政宗に突きつける。
「小さい頃からあんま身支度とか気にしない梵天がそーやって着飾ってる時は、大概大殿の所だろ」
「別にそんなことないだろ」
 脇を上げて自分の身体を見下ろす政宗は特に着飾ったつもりはない。
 いつもは小十郎にその日に着る着物を出してもらうが、今日は自分で選んだ。彼にしてみればただそれだけだ。だが、他から見れば目に見えて身形が違う。
 例えば小十郎が取り出す着物は落ち着きと機能美が秀でたものが多いが、政宗が選ぶのはその時の季節を考慮したような鮮やかなものが多かった。現に今もこの季節に合うような秋を思わせる姿だった。彼の髪の色も相まって、とても美しい。
「先日文をもらったし、俺たちのせいで場所を移ってもらった。最近会いに行ってなかったし、この間の大内の戦の事情も話しておこうと思ってな」
「ほほぉ。まーそれはいいけどさ…」
 成実は顎に手を当て、ため息混じりに半眼になった。
 ひょいと政宗の着物の袖を抓む。
「まーた盛大にめかし込んじゃって〜。なんじゃこのお上品な着物は」
「父上に会いに行くのに恥ずかしい格好や粗末な格好はできないだけだ」
 何を馬鹿なことを…。という態度で政宗が逆にため息をつき返した。
 だが父親に会いに行くという一言だけでは済まされないような丹念な身支度だった。
「ちょっと薄着じゃないか?防具ないと危ないって」
「平気だ。中に鉄布を着ている」
 ぐいっと着物の襟元を片方広げ、素肌の上から身を包んでいる鎖を織り込んだ下着を見せた。確かに腕の関節や胸といった重要な部分にだけ着ているようだ。
見栄えが落ちない程度には、だが。
「遠くから見ると何処かの姫さんみたいだぞぉ」
「お前、目が悪いんじゃないのか?」
「んなことないって。誰がどう見てもそう見えるんだよ。なあ?」
 成実は政宗のすぐ後ろで同じく馬に跨っている小十郎へ同意を求めたが…。
「さあ。私には分かりかねます」
「ほーら出た。またそーやって逃げるしさぁ、小十郎は」
 いつもさらりと流して自分の意見を余り言わない側近に成実が呆れたように言う。
「お前の下らない質問には応えたくないんだろ」
「この梵天贔屓―。小十郎がそうやって甘やかすから梵天大殿に会いに行くたび何か無駄に美人に見えちまうんだぞ。もし今の格好敵連中に見られたら間違いなくなめられるぜ?もっと男らしい着物着てけよ。ただでさせ面立ち細いんだからさぁ」