裏切 >>   月下の涙 第三章

「…!」
 小十郎はその報告を聞いて、珍しく顔を歪ませた。
 馬上に乗る彼の目の前には宮森城から戻った男、鬼庭が本来の黒姿で跪いていた。
 既に時刻は午後に入り、しばらく過ぎた。傍にいた虎哉はその報告を聞いて笑みを消したが、だからといって動揺らしい動揺は見せなかった。沈着冷静を誇る小十郎と比べても、虎哉の方が上を行くらしい。
 だが、それを讃えている時間はない。
「殿!」
 少し離れたところに成実と語りながら馬から降り、休んでいた政宗に声を上げる。
 彼が声を上げることは珍しく、政宗の成実も何事かと話を止めてすぐにそちらを向いた。
「一大事です。大殿が畠山に捕らわれたとの報が…!」
「…!!」
「大殿が!何処で!?」
 瞬時に聞き返したのは成実の方だった。
 政宗は小十郎の声にびくりと肩を震わせ、目を見開いて言葉を失った。
驚愕以上の何もできず、情報は成実を通して与えられる。
「畠山領地の方へ向かったようなので、恐らく今から行けば高田ヶ原の河原近くに。大殿の家臣達が畠山を取り囲んでいるようですが…」
「じゃあとっとと助けりゃいいだろうが!何やってんだよ!!」
「月雀!」
 憤る成実の横で、政宗が黒馬の名を呼んだ。
 その意を汲んで離れた場所で草を食んでいた黒馬はすぐさま彼の元へ草を蹴って駆け出す。主へ近づいてもそのスピードを緩めることなく、政宗は疾走する黒馬に飛び込むようにして乗り上げると、手綱を引いてそのまま一人森を飛び出した。
その後を一番に着いていくのは宗里だった。翼を広げて政宗を追う。
「殿!」
「梵天!…クソッ」
 政宗の行動に小十郎も成実も、家臣たちも慌てて追いかける。
 政宗の黒馬は一番速い。彼と黒馬が本気になって駆け出してしまったとしたら、如何に他の者が後を追おうとその間が開くのは必須だった。
「鬼庭殿、一足先に行って下さい。何としても大殿の命を繋ぎ止めるのです!」
 馬で駆けながら後ろを振り返り、小十郎が命令する。
 輝宗の生死は、そのまま政宗の心のそれに直結している。有余など欠片もない。
 彼らよりも後ろにいて馬も持たない鬼庭が一足先にと言うのも変な話だが、それが可能なのが彼だった。短く答えて、鬼庭は再び風に乗るとその場から去る。
 残された虎哉もやがては後を追ったが、その動作は急いでいるとは言え酷く緩い動作だった。走る馬の手綱を握りながら、その顔を空に向ける。
 日は傾き、徐々に世界を朱が支配し始めていた。