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NHKから外務省に贈る言葉

2002.3.16

 鈴木宗男さんが自民党を離党した。各局とも大ニュースとして取り上げているが、これで何が変わったというのか? 何かのケジメになったのだろうか?

 離党記者会見をよると、「このままでは党に大変な迷惑をかけると思い、離党を決断いたしました。」と述べている通り、自民党に対する責任しかとっていない。そういう意味で、自民党幹部が「苦渋の決断」などと評価するのは当たり前なのだが、国民に対する責任はどうしたの、とツッコミたくなる。僕からみると、鈴木氏の離党では何も変わらないのだ。(会見の全文はこちら。)

 どうも鈴木氏は感情の起伏が激しい人のようだ。御存知の通り泣いちゃったわけだが、悔恨の涙には見えなかったな。「どーして俺だけが……」あるいは「ちょっと前までは対真紀子で仲良かったじゃないかよ、外務省」という悔し涙に見えた。

 その外務省だが、渦中にある当事者にもかかわらず、うまく動いて“優等生”の位置を占めている。13日の『アクセス』(TBSラジオ/月〜金22:00)で神足裕司こうたり ゆうじさんが上手い譬え話をしていたので紹介しておこう(録音したわけではないので要旨です)。

外務官僚という優等生の集団に、鈴木宗男というガキ大将がいたみたいだった。「誰がやったんだ?」と訊かれてもみんな黙っていたんだけど、ひとつばれたら「こんなこともありました」「あんなこともありました」と続出しだしたみたいですね。

 

 同じ13日の『その時歴史が動いた』(NHK総合/水曜日21:15)は「外交の要は誠実にあり」と題して、明治・大正・昭和それぞれで活躍した3人の外務大臣を取り上げていた。不平等条約改正に奔走した陸奥宗光、ベルサイユ講和条約会議で発言力強化を計った牧野伸顕、日独伊三国軍事同盟を締結した松岡洋右の3人。番組冒頭の松平定知アナのナレーションはこんな感じ。少々長いけれどもがまんしてね。

(略)
明治から大正・昭和へと続く100年の間、日本の浮沈は、まさにその舵を取る外交官たちの腕にかかっていたのです。
明治の外務大臣・陸奥宗光。陸奥はその類まれな政治感覚を駆使し、不平等条約の改正を成し遂げます。若き日の陸奥が外交刷新を志した裏には、妻・亮子との愛の物語がありました。
大正8年、パリ講和会議に出席した牧野伸顕。人種差別廃止という理想を掲げ、アメリカと渡り合った牧野を待っていたのは思いがけない挫折でした。
昭和15年、外務大臣になった松岡洋右。アメリカに力で対抗しようとした松岡は、やがて、「死の接吻」とも評されたナチスドイツとの同盟という破局への道を選択してしまいます。
揺れ動く国際情勢の中で、苦悩し奮闘した外交官たちの勇気・英断そして誤算。
『その時歴史が動いた』。今日は、日本の命運を担った外交官たちの決断のときを描きます。

 ずいぶん“外交官”を持ち上げているけれども、“外交官”という言葉に違和感を感じた。上記3人は“政治家(外務大臣)”であって、“外交官”ではないだろう。

広辞苑に従えば、「外国に駐在し、外務大臣の監督の下に外交事務に従う官職。また、その人。特命全権大使・特命全権公使およびその所属の参事官・書記官などの総称。」ということだから、特命全権大使になれば外交官に含まれるようだ。しかし、ふつう“外交官”といったら官僚じゃないかな。

それにね、外務大臣が孤軍奮闘したわけではなくて、その下に外務官僚がいたであろうことは承知している。“外交官”を打ち出すならば、その人たちにスポットを当ててほしかったなぁ。でもそれじゃ『プロジェクトX』か。

 うだうだ書いてしまったけれども、13日の『その時歴史は動いた』は、NHKから外務官僚へのエールとしか思えなかった。