2002.7.14
13日には、坊っちゃんスタジアム(松山中央公園野球場)でオールスター第2戦が行われた。
野球っていうのは、つくづくオールスター向きのスポーツだと思う。チーム競技には違いなくて、野球の個人戦なんて想像もできないのだけれど、実は、投手vs.打者の一騎討ちなのである。複雑な連係プレーはなくて、連係プレーといえば、せいぜい二塁牽制とか中継プレーぐらいなものである。
参考までにサッカーのことを考えると、サッカーのオールスターでは個人技は楽しめるだろうけれど、見事な連係プレーは期待できない。アメフトやラグビーとなると、なにしろ危険だから本気の試合はできないんだよね。
坊っちゃんスタジアムというのは、夏目漱石の『坊つちやん』の舞台が松山だから、それに因んだネーミングなんだけれども、『坊つちやん』を隅から隅まで読んでも、「松山」とは出てこない。「愛媛」も出てこなくて、《四國邊のある中學校で數學のヘ師が入る》がせいぜいだ。道後も《住田と云ふ所は温泉のある町で》という具合に変名だ。
それでも、松山が舞台だということは間違いないのだが、その扱いは非道い。道後温泉だけは褒めているが、《ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉丈は立派なものだ。》といった具合だ。マドンナにしたところで《マドンナも餘つ程氣の知れないおきやんだ》という扱いだし、その他の登場人物にいたっては、狸・野だいこ・赤シャツ・うらなり・山嵐という渾名だけでバカにしていることがわかる。“田舎”という単語が31回出てきて、最後には《その夜おれと山嵐は此不浄な地を離れた。船が岸を去れば去るほどいい心持ちがした。》とまで書いてある。
ま、それでも作品として抜群に面白いことは間違いなくて、こんな小説が郷里を舞台にして書かれていたら、僕だって自慢するよなぁ。
《死ぬ前日おれを呼んで坊つちやん後生だからCが死んだら、坊つちやんの御寺へ埋めて下さい。御墓のなかで坊つちやんの來るのを楽しみに待つて居りますと云つた。だからCの墓は小日向の養源寺にある。》というのが、『坊つちやん』の結びである。井上ひさしさんが、ここに出てくる「だから」を評して《日本文学史を通してもっとも美しくもっとも効果的な接続言》と言っていたそうだ。同感。