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家康の思惑とは?

2002.10.6

2日続けて休んでしまいました。実は“もつ煮込み”を作っていたのです。難しくはないのですが、えらい手間がかかる料理でした。2日目は、ホッピーを飲みながら「美味しい美味しい」と舌鼓を打っていたら休みになってしまいました^_^;。こちらのレシピを参考にしました。ただし、純米酒の代わりに焼酎甲類を、生姜の代わりにニンニクを使ってみました。大丈夫でしたよ(^_^)v。

 5日、NHK総合の大河ドラマ『利家とまつ』の再放送(第38回)を見た。

 家康(高嶋政宏)に臣下の礼を取らせたい秀吉(香川照之)は、実母である大政所おおまんどころ(草笛光子)を人質として岡崎に送る。以上は史実なのだが、ここからドラマでは以下のような展開になる。

「大政所を焼き殺そうと考えていた」家康は、大政所から護符を見せられる。それは今は亡き家康の正室がまつ(松嶋菜々子)に送ったものだった。それを見て家康は大政所殺害を思いとどまって上洛する。

 即座に、「眉唾だな〜」と思った。家康の思惑がまったく見えてこないからだ。大政所を殺してしまえば秀吉との全面対決は火を見るよりも明らか。どーするつもりなんだろう。つまり、まつを絡ませるための脚本だとしか思えない。

No.2の美学と哲学”を売りにしている今年の大河ドラマだが、絡んだ史実の少なさをこういう形で補うというのはどこか間違っているんじゃないでしょうか>竹山洋さん。

実は、佐々成政(山口祐一郎)の妻はる(天海祐希)も創作人物らしい。いや、家臣であった村井貞勝の娘であったことはわかっているらしいのだが、本人の名前すらわかっていない。そんな人物ではあるのだが、今年の大河ドラマでは中心人物である。脚本上の文句がないわけではないのだが、詳細は省略。

 

 ここからはおまけ。

 なんでこんな脚本を考えたんだろうと思って調べてみた。すると、本居宣長新井白石が著した歴史書『藩翰譜はんかんぷ』に次のようなエピソードあるそうだ。

家康が岡崎を発って上洛した後、大政所が泊まっている御殿の周りに薪が積まれた。驚いて問いただしてみると、世話役を務めていた本多作左衛門曰く「関白秀吉殿が、我が殿家康を殺したり、京に留めて岡崎に帰らせてくれないならば、大政所はじめ全員を焼き殺すつもりだ」と答えた。《一応原文を引いておくと、『藩翰譜 巻四上』の「本多飛騨守成重(作左衛門の子)」の項に「關白かんぱく殿の我國わがくにの殿を失ひ玉ふか、もしくは留めまゐらせて返し玉はずば、今度このたび都より御下り有て、是にまします御方を、ことごと燒殺やきころし申さん」とある(『新井白石全集 第一巻』(国書刊行会)より引用。振り仮名はまる三が付けた。)》もともと、人質ではなく、娘の旭姫(家康の正室:後妻)に会うために浜松に来たと思っていた大政所は吃驚仰天。慌てて秀吉宛に手紙を書いたので、その甲斐あってか、家康は岡崎に帰れたという。

 これならわかる。家康の――というかこの場合は留守居をしている本多作左衛門重次(や井伊直政や大久保忠世たち)の――思惑がはっきりしている。

こちらのサイトを参考にしましたm(__)m感謝。

【追記】訂正
大政所が赴いたのは浜松ではなくて岡崎(浜松は旭姫の居住地)でした。
また、『藩翰譜』を著したのは本居宣長ではなくて新井白石でした。
すみません。