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13〜14日目 シカゴ → 成田 (+1)


やっと日本に帰ることができる日が来ました。
電話でとった予約なので、何かの間違いやオーバーブッキングなどを懸念し
必要以上に早いシャトルバスで空港へ向います。
チェックインして搭乗券をもらい、出国審査を受けてしまえばこっちのものじゃないかと思ったからです。

飛行機は当然満席、
変更の末やっと取れた予約だったので、3人揃っての席なんて期待していなかったのですが、
何も言わないのに3−4−3配列の、窓から並びの3人掛けをとってくれました。
なるべく他の人から隔離できるよう窓際にMを座らせ、湿らせたタオルを口と鼻に当てさせていたのですが、
一昨日よりは落ち着いたとは言え、ゴホゴホ咳をするので前の人はイヤだったでしょうね。
露骨な態度はとらない優しい日本人だったので、助かりましたが・・・
これを期に、私は機内持込バッグにいつでもマスクを入れておくようになりました。

機内はとても乾燥しているのでこまめに水分補給し、タオルをしょっちゅうすすいで口元に当て
どうにか成田空港に到着しました。

あらかじめ日本出発前に購入しておいた成田からの切符ですが、
京成は有効期間1ヶ月という普通乗車券だったので問題ないのですが、
SのJR券は9/12当日限り有効だったので、窓口で問合せてみたら特例措置で乗変扱いにしてくれました。


*  *  *  *  *


私は、2001年9月12日、13日、17日のUSA TODAY(新聞)を今でも大切に持っています。
12〜17日まであったのですが、全部持って帰国するには重くてかさばるため、
スクープ的写真と記事の12&13日分、状況が解明され始め興味深い記事が多い17日分を持ち帰りました。
私にとっての9.11(ナイン・イレブン)は、
直接被害を被った人とは全く違う立場ですが、忘れてしまう事はできない日であり事件なので、
毎年その時期になると目を通すようにしています。


元職場の私の顧客に、WTCで働いていて犠牲になった方のお父様がいらっしゃいました。
私がシカゴでカンヅメになったお話をしたら心を少し開いてくださり、色々お話をしました。
私の知っている限り2005年までは、毎年「あの日」はグランドゼロに行かれていました。
その方はおまいりをした後、気分転換にブロードウェイやブルーノートへ奥様をお誘いするそうですが、
奥様はおまいりしたらすぐ日本に帰りたいと仰るのだそうです。
心の傷はちっとも癒えていないそうです。


フランス旅行記のはずでしたが、後半は米国同時多発テロに関わる日記になってしまいました。
ちょっと重苦しくなってしまいましたが、最後まで読んでいただいてありがとうございました。



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