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12日目 シカゴで足止め


Mがひどい呼吸困難でこのまま朝を迎えるのは危険と判断した私は、
夜中の2時、契約期限が過ぎてしまった相談もあった為日本の保険会社に電話を入れます。
今回は特例の措置として日本に帰るまで旅行期間の延長が認められていると言う事を確認した上で
サンフランシスコにある保険会社の緊急センターに連絡をとります。
病院と車の手配が整ったと緊急センターからコールバックが入り、病院名や今後の指示を受け、
車がホテルに着いたとフロントからの内線でロビーに下り、救急病院へ向います。

手配された車はタクシーでした。
何にも知らないタクシードライバーは、Mのひどい咳に窓を全開にします。
ウイルス系の咳だと思ったのでしょうね。
昼間は30度を越える気温でも陽が落ちると肌寒く、走る窓から遠慮なく入る深夜の風はとても冷たいのです。
私はMの肩を抱きしめて暖めます。
やっと着いた病院の救急待合室には、苦しそうな人が3組位いました。

英語はダメなのにMは車椅子に乗せられ、大きな黒人の男性に連れて行かれました。
私は別の所でこと細かく(今までの経過、アレルギーの有無等)質疑をされ、
Sは誰もいなくてだだっ広い暗くて寂しい待合室にひとり待たされました。
送った時間は2時間弱ほどだったと思いますが、三人三様心細い辛い時間でした。

質疑や海外旅行保険の手続きが終わった私はMが心配で、
「Mは?」と聞いたら中に入れてくれました。
血液検査をしレントゲンを撮り終え、手術台のようなベッドの上で酸素吸入をしているところでした。
酸素吸入をしたらずいぶんラクになったそうで、顔色に血色が戻っていました。

タクシーを呼んでもらい、途中ドラッグストアで処方薬(吸入薬と錠剤2種)を購入し、
ホテルに戻ったらもう明け方でした。すぐベッドに入り寝ることにします。

私は9時に起きだし、よく寝ている2人をおいて、ロビーからUAに電話をすると
明日の便に空きが出ているとの事で変更してもらえました!!

ベッドメーキングの間プールサイドのデッキチェアーへ避難、日光浴をしながら昼寝をし、
終わった頃を見計らって部屋に戻り、Mをベッドに横にさせて、Sと買出しに出かけます。
何事もなかったような穏やかな青空で、30度を越えても爽やかです。
病人がいると部屋にこもりがちになるので、こうして歩いて買出しに出かけるのが
運動不足解消になったり、気分転換になるのです。

水とオレンジジュース、長江の中華料理のテイクアウト、
明日帰国できると知ったSはアメリカ土産(笑)なども購入しホテルに戻り、遅めのランチにします。

窓の向こうの空港には、離発着機が時々見られるようになりました。
明日はあの空港から日本に帰れると思うと、心底うれしいです。
多少元気になったMは上半身起こしてTVを見たいようですが、
明日の長距離飛行に耐えられるようその希望を却下し、食事以外は寝ていてもらいました。

帰国便も決まり、体調も上向きになってきたせいか、WTC崩落のシーンを冷静に見る事ができるようになりました。
何度見ても現実とは信じられず、映画のワンシーンのようです。
当初そのシーンがTVに映るとドキドキし、しばらくは無言が続いてしまっていたのですが・・・

やっと暗くなったばかりの宵の口ですが、みんな疲れきっているので、
「早く寝て、もし明日早く目が覚めてしまってもその方がいいよね。」と、寝る事にします。


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