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読まなかった本

2002.3.13

 昨日の「三行書評 第41回」には、もう1冊加えられていてもよかった。河井継之助に関する小説を手に取ったのだが、読むのをやめてしまったのだ。

河井継之助についてちょっと説明すると、幕末の越後長岡藩の家老である。明治維新には数々の戦い――鳥羽伏見の戦い・上野戦争・箱館戦争など――があって、まとめて戊辰戦争と呼ばれているが、その中でもっとも激越だったと言われているのが、東山道を北上していった西軍が長岡藩と戦った長岡戦争だ。ガトリング砲などで武装した長岡藩と西軍の間で戦われ、長岡は焦土と化した(こちらのサイトに詳しい)。じっくり知りたい人は、司馬遼太郎『峠』(新潮文庫)をお薦めする。高校大学時代の僕は本を読まないほうだったが、『峠』は年に1回は読んでいた。
ちなみにその2年後、分家である三根山藩から贈られた米にまつわる話が、小泉首相が好きな“米百俵”である。

 僕は河井継之助が好きなので手にとってみたのだがちょっと驚いた。

 10ページにこんな記述がある。

信濃川は甲斐、飛騨、信濃の国境を源とし、実に千里、四千キロも流れて日本海に注ぐ、我が国有数の大河である。

 まずは、「甲斐・飛騨・信濃の国境(現代風に言えば、山梨・岐阜・長野の県境)」がどこかというのが謎である。長野をはさんで東西にあるのが山梨と岐阜だから、3県が接する地帯は存在しないのだ。どうやら、信濃甲斐の国境を源とする千曲川に、信濃飛騨の国境を源とする犀川が合流し、越後に入ってから信濃川になるということを言いたかったと解釈するしかない。それはよいとしても謎はまだ残っている。「四千キロも流れて」とはどういうことだ? 東京−ホー=チミン(ベトナム)の直線距離がだいたい4000kmである。

 おやおやと思いながらも読み進んだところ、62ページにこうあった。

藩祖保科正之は、三代将軍家光の異母弟である。四代将軍綱吉の後見役として、幕政を担当し、(後略)

 会津藩の初代である保科正之が補佐したのは、四代将軍“家綱”である。「六代将軍家継」なら気づかなかったかもしれないが(正しくは七代)、綱吉を間違うのは珍しい。

 といったわけで、それ以上読み進めなくなってしまったのだ。

あ、見つかっちゃった^_^;。その本は、星亮一『河井継之助』(成美堂出版)という。