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元禄十五年十二月十四日

2002.12.14

 今日は赤穂浪士討ち入りの日。

おさらいしておくと、元禄15年12月14日、というよりも15日未明(午前3時ころ)に討ち入って吉良上野介の首級しるしを挙げ、夜が明けてから品川泉岳寺に向かった、ということになる。

 討ち入りから300年ということで、NHKも、劇場中継『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』(松本幸四郎・市川團十郎・尾上菊五郎ほか)とか映画『忠臣蔵』(1959年/監督:松田定次/出演:片岡千恵蔵・大友柳太郎・中村錦之助(後の萬屋錦之介)・東千代之介ほか)とか、“忠臣蔵好き”にはタマラナイことになっていた<あくまで過去形m(__)m。

 さてその元禄15年12月14日だが、グレゴリオ暦に変換してみると、実は、1703年1月30日である。だから厳密に言うと、来年の1月30日にならないと300年――地球が太陽の周りを300回まわったこと――にならないのだ。

今日の記事を書くに当たっては、『日本暦日原典』(内田正男編著/雄山閣出版1985年3版2刷)や『暦の百科事典』(暦の会/新人物往来社1986年)や、暦を変換できるサイトsuchowan's Home Pageを参照しました。これらを使えば、平家が壇ノ浦で滅亡した文治元年3月24日はユリウス暦1185年5月2日だ、なんてことがわかります。

実は僕は歌舞伎が好きで、『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』を見たことがある(放送されたものとは違って、歌舞伎座での菊五郎劇団公演だったが)。放送でも、2時間強×5日かかったようだが、昼の部・夜の部通して午前11時から午後9時半までかかるのだ。昼食と夕食に歌舞伎座の幕の内弁当を食べるという、我ながら凄い体験をしているのだ^_^;。
でもね、夜の部が始まる前に気づいたのだけれど、斜め前に座った女性は昼の部にもいました、絶対に。

 相変わらずイチャモン好きな^_^;まる三ブラックではあるけれども、こういう“現象”は嫌いじゃない。おかげで昔のいろんな映像が見れるからね。それに、12月14日でやったほうがピンとくる。