2004.5.24
五つ星が満点。
チャールズ=A=リンドバーグ 『翼よ、あれがパリの灯だ』 (佐藤亮一訳/筑摩書房 世界ノンフィクション全集3) |
お薦め度 |
★★★★★ |
あらまし |
1927年5月20日から21日にかけて、25歳のリンドバーグはニューヨーク→パリ間の無着陸単独飛行(飛行時間約33時間)に初めて成功した。本書は1953年に出版された手記。 |
コメント |
27時間飛び続けてアイルランド南端に到達したとき、地上で手を振る人間を見て《私は永遠の世界からもどってきたのだ》と感ずる場面が特に感動的だった。その他にも感心・感動する場面多数。 |
フリッチョフ=ナンセン 『フラム号漂流記』 (加納一郎訳/筑摩書房 世界ノンフィクション全集3) |
お薦め度 |
★★★★★ |
あらまし |
「ベーリング海峡から北極海を横断してグリーンランドに向かう海流があるはずだ」という学説を信じた32歳のナンセンは、海流に乗って漂流しながらの極地探検を計画する(だから「漂流記」と言っても遭難したわけではない)。1893年9月に氷に閉ざされてから漂流すること3年(!)、フラム号は無事にノルウェーに帰還する。 なお、ナンセン(と隊員1名)は漂流半年目にフラム号を離れ、犬ぞりとカヤックを使って氷上(および海上)を移動すること1年半、別の探検隊と出会ってノルウェーに帰国する。 |
コメント |
ナンセンもスペルドラップ(フラム号船長)も、帰国して真っ先に行くのが電報局なのが時代だなぁと思った。で、電報局局長の応対が探検家に対する尊敬の念に溢れていて感動的なのだった。 |
河口慧海 『チベット旅行記』 (河口正編/筑摩書房 世界ノンフィクション全集6) |
お薦め度 |
★★★★★ |
あらまし |
1897年、31歳の河口慧海は、梵語(サンスクリット語)による仏教経典の原書、あるいは漢訳よりも確かとされているチベット語訳の仏教経典を求めて、厳重な鎖国主義を実行しているチベットへ出発する。三年間、ネパールでチベット語の習得(俗語も勉強するところがエライ)と間道の探索を行ったあと、満を持してヒマラヤ山脈を越える。西方にあるカンリンポチェ山(インド名カイラス山)の方を遠回りし、8カ月余をかけてラサに到達する。 |
コメント |
ヒマラヤ越えにおける自然の脅威や、日本人であることが露見しそうになった危機など、様々な苦難があるのだけれど文章(口語訳は甥の河口正氏による)が軽妙なせいか、なんだか笑ってしまう。井伏鱒二の文章を思わせるような軽妙さがある。ただし、これは抜粋らしい。全文は講談社学術文庫で全三冊である。 |
3人が探検を行った年齢を意識的に書き出してみましたが、若いですね。