Santiago  Easter Island
2009年04月 RTW5周目第1弾
浪漫夢紀行 5日目



昨夜寝る前からコンコンと上の階でなにやら響く音がしているのが気になっているのに、
更に通りの向こうで何やらマイクを使ってドンチャン騒ぎ・・・
「のってるか〜い?」 「イェ〜イ!」ってな感じのノリで大音響!!(>_<)
私の部屋はオイギス大通りに面していて二重窓にはなっているけどウルサイ、ウルサイ・・・
金曜で盛り上がっていたのかもしれないけど、周りのホテルから苦情ないのかしら?

合わせてコツコツも・・・1時位まで仕事するなんて・・・
普通のビジネスビルならまだしも、ホテルなんだから・・・でもこのホテル雑居ビルかもしれないけど・・・
でも、でも・・・上は間違いなくこのホテルなんだから迷惑ですよ、も〜。
日本だったらありえないけど、こちらじゃ言ってもどうにもならないのは目に見えてるので
イヤーウイスパーしたけど1時過ぎまで眠れなかった・・・

なのに・・・やっぱり3時半に目が覚めてしまいました・・・心配性の宿命ですなぁ・・・
睡眠時間2時間・・・(>_<)
今日はコンタクトはやめてめがねで通そう・・・
飛行機のなかで寝よう・・・

支度していると自分の目覚ましが4:20になり、
ホテルからのモーニングコールはきっちり4:30に人の声でありました。
ほとんど支度は終わっていたので、5時まで旅行記を作りながら時間的には余裕のヨっちゃん!古っ^^;

本当は5時って頼んだのですが、トランスVIP社から5:30と指示されています。
フライト時間と便名を言うのでそれに合わせたり、他のお客との兼ね合いもあるのでしょう。
なので5:20に部屋を出て下へ。
でも・・・5:45になってもお迎えが来ず、電話をかけてもらったら、蕎麦屋の出前よろしく「あと5分」との事。
結局来たのはちょうど6時。(>_<)

先客3名の車に乗り込み、当然空港へ行くと思いきや、
5分程走ったら団地のようなビルの並ぶ住宅街をナビで確認しながらグルグル・・・
やっと見つけたとある棟でひとりをピックアップ・・・
合計5名になってやっと空港へ向かうのですが、またもや空港手前のトランスVIPのオフィスに寄るのです。
私以外の他の4人はまだ支払いが済んでいないのでここで支払いをし、
私のようにチケットを持っている場合は回収します。
今度こそ空港へ。ま〜ここからは1〜2分で出発階の車寄せですが・・・
今後(他の地でも)予約する時は、もう少し早い便をダミーで申告しよう・・・と誓った次第です。

たまたまLAのカウンター前のドアに横付けでした。
飲み切れなかった缶ビールが入っているピギーを預け、身軽になってセキュリティーを抜けると、
国内線なのでラウンジはないのに、なんと免税店があったのです。
イースター島は物価がとっても高いので、40%offだったチリワインを1本買っておきましょう。

 SCL→IPC 08:10→11:50 LA841 767-300 5h40 GMT-6

国内線なのに国際線と同じ機種なのでゆったりシート、うれしい。
絶海の孤島へ向かうのだから・・・と今回は窓際を指定しておりました。
隣の通路側の人来ないといいなぁ・・・と思っていたのですが、残念ながら人気路線ゆえに満席でした。

水とオレンジジュースですが国内線でもウエルカムドリンクがありました。
スポットを8:20に離れ、8:35テイクオフ。
安定飛行に入るとすぐに朝食のサービスが始まりました。


ポテトとオムレツだったのでオムレツをチョイス。ハム、ポテト、ベイクドプチトマト添え。
フルーツは葡萄、オレンジ、メロン、ペピーノ(?)



ふと外を見ると・・・ブロッケン現象?・・・
ほとんど真下なのでカメラに収めにくく、ぼんやりと写っていますが、
肉眼ではもっとくっきり、そして結構長い間見えたので窓にへばりついておりました。
寝不足なのに・・・


憧れの地が見えてきました♪


イースター島 Easter Island 名前の由来
独自の文化を育んでいた島民が外界と接したのは1722年、オランダ人のヤコブ・ロッゲーフェンが上陸した時であった。
上陸した日がイースター(復活祭)だったため、そのオランダ人がイースター島と名づけた。
当時すでに葦で葺いた屋根を持つ家に住み、耕された畑などで生活は豊かだったと記されている。


11:45(サンティアゴ時間では13:45)にランディング。
同じチリでありながらサンティアゴとイースター島には2時間の時差があります。

ついに夢にまでみた神秘と浪漫に満ちた絶海の孤島・イースター島に着きました〜♪
消毒スプレーの洗礼を受けるのも、イースターの独自の生態系を崩さないためなのでしょうね。
タラップで降機すると南国特有のもわ〜っとした空気に包まれました。

「イースター島」の呼称は、空港などの公共の場や主に観光客が使う場合で、
スペイン語の「イスラ・デ・パスクア Isla de Pascua(パスクア島)」が正式名称です。
しかし島民は島の言葉で「ラパ・ヌイRapa Nui(大きな島)」と愛着をこめて呼んでいます。

ラパ・ヌイという響きがとっても素敵なので、私もあえてラパ・ヌイと呼ばせて頂きます。

空の高さが違う! 木々にすっぽり埋もれてしまう空港 右手に行くと到着ターミナル

バスターミナルのような小さな建物に入ると、狭いスペースにある短いターンテーブルはまだ回っておらず、
ではその間にやらなくてはいけない事が・・・
物価の高いラパ・ヌイの事前に予約できるようなホテルはとっても高かったので、
今回ここでのホテルはまったく手配をしていなかったのです。
と言う事でまずはお宿探しをしなくては・・・と斡旋カウンターへ。

カウンターには3軒のホテル(オスタルレベル)の人が来ていたのですが、
最初にあたった所は共同バス&トイレだったので問題外、
次の所はガイドブックでチェックしていた所、お手頃だし島のど真ん中、
なによりこぼれるような笑顔のおばさんがとっても感じ良〜い♪ 部屋の写真もいい感じ♪・・・

でももう1軒もちょっとあたってみると、ここもガイドブックでチェック済みの所でした。
朝食付きの2軒目よりほんのちょっと高い、しかも朝食なしで・・・
場所が中心部からちょっと離れている・・・
でも一番の決め手は、感じが悪いわけではないけれど物静か・・・と言うかこぼれるような笑顔がない・・・

と言う事で2軒目のお宿に決定!
すぐにおじさん(おばさんのだんな様)が荷物を持ってくれ、お宿まで乗せてくれる車へ。
これがとんでもないオンボロ車。
でも後で分かった事は、島民の自家用車はどれもこんなレベルの車ばかりでした。

のどかな道を行く事数分でお宿に着き、迎えてくれたお母さんと妹さんもとっても感じが良く
場所も抜群に良いのですが・・・お部屋が・・・(-.-)
シャワーもトイレもあるし、扇風機もある、お掃除は行き届いている・・・でも・・・
外は燦々としたお天気なのに薄暗く、湿気があるわけではないのになんとなくじと〜っとしている感じ。

さっき空港でチェックした3軒目は空いているわけだからちょっとチェックしてきましょう。
とまずはそのお宿に向かいます。
歩く事20分位で初めての地でも簡単に見つけられ、外観も中庭もとってもいい感じです。
でも車があるというのに声をかけてもだ〜れも出てこず、
テラスの椅子でしばらく待っても時間ばかり経ってしまう・・・
もう一度中庭のドアを開けて声をかけてもダメなので、
あきらめてドアを閉めたらその音で先ほどのオーナーが出てきました。寝ていたみたい・・・
で、明日と明後日の2泊の交渉をすると、「あちらをキャンセルして今日から3泊になぜしないの?」と。

1泊+2泊よりもちろん3連泊の方が私にとっても望む所ですが、
空港から車にのせてもらったし、なによりあのお宿のみんながとっても感じが良いのでちょっと心が痛い・・・
「空港から車で送ってもらったし悪いから・・・」と言う私に、「ここでは全然問題ない」ときっぱり。
彼の車で近くまで送ってもらい、先ほどのお宿に戻り、キャンセルの話を切り出すと
あっけない程簡単に「OK〜」と。 申し訳ない気持ちで荷物を持ってお宿を出、
コーナーの先で待ってくれている車で再び新しいお宿へ。

門を入り建物までのアプローチ
ポインタしてね
敷地内は植物園のように花や果実の木々が。   ↑これはパパイヤ
マンゴー、バナナなどフルーツの木には実がたわわになっていました。

宿が決まってひと安心。
荷物を軽くといたら、早速オーナーに教えて頂いた現地旅行代理店へ行きましょう。
でも15時までシエスタらしいので、まずは先にランチを♪

雰囲気あるでしょ・・・

マンゴージュースとエンパナーダ

シーフードのエンパナダーダ
ポインタしてね

クチコミでチェックしていたこの店 Donde El Gordo は移転したとの事であきらめていたのですが、
偶然見つけたのです。でも屋台から店舗を構えてしまっていましたが・・・


ハンガロア教会 ポインタしてね

村で唯一の教会をちょこっと見てから、そろそろ開店の時間なので旅行代理店へ・・・
でも・・・ドアは固く閉ざされたまま・・・もしや土曜は休みだったりして・・・?

時間がもったいないので、ハンガロア村に何箇所かあるモアイ像の中で一番気になった所へ行ってみましょ。
歩ける距離にあるので気楽に行けますね。

普通に馬が歩いています 海をバックにきれいな墓地

この村は馬がいっ〜ぱい!
もちろん飼い馬なんですが、犬のように自由気ままに散歩しているんです。
あっ、犬もとっても多いです。しかもシェパードなどのMIXのようでほとんどが大型犬・・・

海に向かってズンズン下りると海越しにきれいな墓地に出ます。
その前を過ぎると左前方の小高い所に感激のモアイが見えてきました♪

島の歴史@
最初に人間がこの絶海の孤島に入ったのは400年頃、ポリネシアからやってきたとの説が有力だ。
600年頃には畑が作られ、人口も増えていき、700年代にモアイ像製作が始まったと言われている。
モアイ像製作で手当たり次第伐採したための森林崩壊、
小さな島に人口が増え、漁業と農業だけで支えきれなくなると、飢餓などのせいで部族間争いは激しくなっていく。

モアイ像について
最初はアフと呼ばれる祭壇だけ作られていたが、部族間の権力誇示のために人型の像をアフの上に置くようになった。
部族の祖先、神、王などをかたどったと言われる人型の像=モアイ像の多くは、海を背に村を守るように立てられている。
モアイの目から発せられるマナ(霊力)を信じていたからだ。
部族間争いの際うつぶせに倒されたり目を壊されたのは、そのマナを封じ込めるためだと言われている。


アフ・バイ・ウリ アフ・タハイ(後方はアフ・バイ・ウリ) アフ・コテリク ポインタしてね

強い陽射しの上逆光で残念ながら写真はよく撮れていませんが、
初めて実物を目の当たりにしてちょっと興奮気味、長年の夢が実現したので感慨ひとしおです。
復元されたものとはわかっていてもコテリクの目力に吸い込まれそう・・・
早朝に是非もう一度来ないことには・・・

ダメモトでもう一度旅行代理店に行ってみたのですがやはり閉まったまま・・・
明日は日曜だし・・・どうしましょ・・・

とりあえずお宿に帰り、部屋からぬるいビールを持ち出してテラスに行こうとしたら・・・
前を通った部屋のドアが開いて、なんと日本人の男性が出て来たのです。びっくり。
その方の冷たいビールを頂きつつテラスでしばらくお話しました。
彼もRTWの旅行中だそうですが、一気に一周のハード版。
若いお兄ちゃんではなく、妻子を日本に置いて・・・という世代の、きちんとした考えをお持ちの方でした。

明日のツアーを申し込んでいるそうで、「9時にピックアップに来るから聞いてみたら?」と提案してくれました。
もうそれにかけるしかないですねぇ・・・
もし満席とかでダメだったら、日系の旅行代理店も日曜休みだし・・・お手上げ・・・
最悪はタクシーチャーターしかないかも・・・
夕食をご一緒する約束をして一旦自分の部屋に戻ります。

充電している間ちょっとベッドに横になってひとやすみ・・・昨夜は睡眠時間2時間だったので。

18時過ぎだというのにまだ青空の下、海に向かって歩きチェックしていた Merahi Ra'a (メラヒ・ラア)へ。
ちょっと早いのか店内は先客2組だけでした。

マグロのステーキ

本当はセビーチェ(魚介類のマリネサラダ)が食べたかったのですが、
漁の関係で生食できる魚介類はないのだそうです。
なのでラパ・ヌイ名物マグロのステーキにしてみました。
結構大きな切り身でパサパサしておらず美味しかったです。熱々のフレンチフライもたっぷり。
どの店でも出てくるパンにつけて食べるサルサ?(玉ねぎのマリネ風)がとっても美味しい♪

食べていたら外が一面金色! すごい夕陽なんです!! 
金色の夕焼けって初めて見ました。
今すぐにでも外に飛び出したい衝動を抑えて、明日もあるさ・・・と窓からの景色だけを堪能しました。

日が沈むと帳はあっという間に下りてきて、ラパ・ヌイは漆黒の闇に包まれます。
街頭が少ないので、今度は満天の星が夜空を埋め尽くすのです。
星ひとつずつがとっても大きくくっきりしており、降り落ちてきそうなほどの数・・・
オリオン座位しか分からない私ですが、
「あれが南十字星、その下のはニセ十字星・・・」と星レクチャーされながらお宿に帰りました。

お宿に戻りひと休みしたらお部屋宴会♪
タヒチで買ったというアーモンドや、私が日本から持ち込んだソースせんべいなどを食べながら
免税店で購入したというウイスキーをご馳走になりました。

明日参加できる事を期待して今夜はお開きに・・・



  ■ 浪漫夢紀行TOP
  ■ 海外散歩TOP
 
 ■ 国旗de散歩TOP
 
 ■ 路地裏の散歩道HOME
   BACK          NEXT≫