Easter Island 滞在 |
2009年04月 RTW5周目第1弾 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
浪漫夢紀行 6日目 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3時半頃一旦目が覚めたけど二度寝して7時起床。でも外はまだ暗い・・・ 支度しているうちに鶏&鳥の声がし始め、7時半にやっと明るくなりました。 朝陽が当たるモアイを見てみたい・・・と、昨日逆光で良い写真が撮れなかった村の北にあるタハイ遺跡へ。 二度目なので道は分かっておりズンズン歩いて15分程で到着。
朝陽はまだモアイまで到達しておらず辺りは丘の影で包まれたまま・・・遠い海だけ碧く輝かせていたのですが、 丘越えの朝陽が頭頂部を射すと、その陽は段々絡みつくように下りてきて、モアイ全体を生き生きとさせました。 特に眼のあるアフ・コテリクは、その眼が次第に目覚めるように変わって行くのです。 ちなみに、モアイは「モ・アイ」であって、モは未来、アイは生きるを意味するそうです。 アフ・コテリク Ahu Koteriku
タレント性(笑)のあるコテリクと違い、ちょっと上を向いて寡黙(笑)そうなタハイに興味を持ちました。 顎や肩から胸にかけてのラインや、目や鼻から頬にかけてのラインが荒削りながら貫禄&味があります。 帰国後調べてみたら、ラパ・ヌイで一番古いかもしれないと言われているモアイでした。
段々変わっていくのでもっと見ていたいところですが、 ツアーの飛び込み参加をお願いするので、8時半までにはホテルに戻らなくては・・・ 外の空気はひんやりしているものの、軽い上り坂をせっせせっせと歩いたので汗ばんでしまいました。
予定より15分早く来たピックアップ、無事追加参加できる事になり、ツアーバスに乗り込みます。 バスに1歩乗り込んで「Good Morning!」と声をかけた時からすぐに打ち解けられました。 いい人ばかりでよかった・・・ あと2軒ホテルを回り、当日参加の私を入れ総勢16人。(プラス2歳の可愛いジョセフィーヌも) 英語&スペイン語のグループなので、 スペイン語圏が2組4名、フランス語圏(英語可)が1組2名、そして4組8名が英語圏に在住の人でした。 ツアーガイドはスペイン語と英語を巧みに使い分けるサブリーナ。 もう超カッコよくて一目ぼれ♪ サッカーのナカタを女性にした感じ・・・あっ、サブリーナは女性なんですけど・・・^^; スタイルも顔も抜群、サバサバしていて女っぽくないのに右の耳にプルメリアの花なんかつけちゃって・・・
この先ラノ・ララクまで売店やトイレがなくなるので、全員揃ったらまずガスステーションへ。 ここで水を購入しておきました。 まずはハンガ・ロア村から東に向かい、反対側の海沿いにあるアフ・ハンガ・テエへ。
海沿いのちょっとした崖に突っ伏すように8体のモアイが並んでいます。 このアフの下から多くの人骨が見つかり、フリ・モアイ(モアイ戦争)後の墓地だったと推測されています。 手前の石で囲まれたサークルはバイーナと呼ばれ、ここで儀式が行われていたそうです。 ここには細長い台の上に土産物が並べてあるだけの露店が出ていました。 ラノ・ララクやアフ・ナウナウには常設の売店がありましたが、露店はここだけでした。 ま〜見るだけでいいといった物だけでしたが・・・
ハンガ・テエ同様海岸線ギリギリにあり、マナを封じ込めるため顔を下に倒されたモアイがありました。 ちょっと鼻の高いやや横向きのモアイや、一番小さいと言われているモアイは仰向けでした。 ここにも住居をボート型にしたハレバカ跡があり、島に最初にやってきたホトゥ・マトゥア王には家がなく ボートを伏せて使ったのが始まりと言われています。 ハレバカだけでなく、通路を作っただけの洞穴住居跡もありました。
一番楽しみにしていたのがこのトンガリキでした。 海を背に15体のモアイが、島で一番大きな100mにも及ぶアフの上に並んでおり、それはとても壮観です。 右から2体目のモアイはプカオをのせており、他のモアイも比較的顔がきれいな状態でした。 一番大きなモアイは右から5番目で約9mあります。 1960年のチリ沖地震の際の津波によって壊滅的ダメージを受けたこのトンガリキは、 1991年〜1993年にかけ日本の援助によって修復・復元されました。 モアイを立てたのは、高松市のタダノというクレーン会社。 クイズ番組で「クレーンがあれば倒れたモアイ像を起こせる」という呼びかけに応え、 クレーン車の提供だけでなく、150万US$(当時レートで約1億円)の資金援助により修復されました。 その時活躍したクレーン車は、今でも島唯一のクレーン車として活躍しているそうです。 トンガリキに向かい右手にポツンとあるモアイ像は、1970年の大阪万博で展示されたモアイで、 ホツイティの丘に立っている事から、ホツイティのモアイと呼ばれています。 ホツイティのモアイの横には、修復の様子の写真と共に、英語・スペイン語と共に日本語での説明もありました。
ここは朝陽の上る頃がとっても良いそうですが、 宿泊設備のあるハンガ・ロアから行くには、レンタカーじゃないとちょっと無理ですねぇ・・・
半身が土に埋もれたラノ・ララクのモアイ。400体近いモアイがラノ・ララク周辺に集中しています。
切り出し途中で中断したモアイを見られます。 モアイは基本仰向け状態で彫られ、顔を含め体全体の上向きが出来上がると切り出され 足元に掘られた穴に落とすようにして立てかけるのです。 穴に立てかけた状態で背面を作製して完成させ、各地に運ばれていく事になります。 写真のようにラノ・ララクのモアイ像は、顔だけのモアイがニョキニョキしているように見えますが、 実は穴に落とされた状態なので、胴体は地中深く埋まっているのです。 上写真ん中はモアイ・ピロピロと名前のついたモアイで、地中まで入れると約14mもある最大のモアイです。
「膝をついたモアイ」と言う意味のトゥトゥリ、私達日本人から見るとまさに正座をしているモアイです。 実際後ろから見てもちゃんとお尻の下に足の裏がありました。 以前はたしか柵はなかったのですが、いつから付けられたのでしょう。 柵をつけなくてはいけないことがあったのでしょうね・・・残念です。 このあたりから、海をバックにしたアフ・トンガリキがよ〜く見えました。
切り出す岩山にはたくさんの製作途中のモアイを見ることができました。 残念ながら製作途中で放置されたままですが、ラノ・ララク最大のモアイ(写真右)は、なんと22mだそうです。 ラノ・ララク、予想していたよりずっとずっと感動・・・すごいです! 思ったより観光客が少なくてじっくり見られたことも一因だと思います。今日の私のNo.1かも・・・
見学後、ラノ・ララクの麓でやっとランチです。 出発前にランチの希望をとっていたので、チキン、ビーフ、ベジタリアンからビーフをリクエストしておきました。 メイン以外は皆同じ、ミックスベジタブルとピラフ添え、オレンジ、パン、1ドリンク。 ドリンクはビールもあったので、もちろんビールを♪ ビーフが意外と美味しかったです。
上の写真は右にプカオが離れて落ちており、立てると高さ8m、重量80tにも及ぶと言われています。 実はこのモアイ・・・写真を撮らないほうがよいという説明があったのですが・・・ その説明の前に撮ってしまいました・・・そしてそのせいなのか・・・?(-.-)
このテ・ピト・クラは、伝説の王ホトゥ・マトゥアがこの島にやってきた時に持ってきた石だとされています。 直径80cmほどのテ・ピト・クラの周りに4つの丸い石が置かれており、 この小さな石に座って手をテ・ピト・クラに触れると、神のパワーが得られると言われています。 また、色々な磁気を狂わすそうで、持っていた人全員の磁石がテンデンバラバラな方角を示しました。 「クレジットカードをかざしてみて〜」というサブリーナのジョークにノル人は誰もいませんでした。(笑) またテ・ピト・クラとは光のヘソと言う意味の他に、地球のヘソという意味でもあるそうです。 当時この島が絶海の孤島でありながら地球の真ん中だと信じていたのでしょうね。 上の写真左を撮った直後足が前にズルっとなり、尻モチをついてしまいました。(-.-)
名誉の負傷・・・ではなく、もしかしたら祟りなのかもしれません・・・(-.-) 撮らない方が良いという前に撮ってしまったのですが、意味が理解できたような気がします。 でもこのお陰(?)で、ツアーメンバーとグッと仲良くなれました。 男性軍がみんなで抱き起こしてくれ(重いから?^^;)、 その後もずっと「腰大丈夫?」って心配してくれて・・・ 誰もが腰を心配してくれるのですが、それほどすごい尻モチだったのでしょうか・・・ちょい恥ずかし・・・ 愛しの^^;サブリーナは「大丈夫?マイハニー」ってハグしてくれ・・・ バスに戻ってウエットティッシュで傷を拭いていたら、 チリのメンドーサから来ていた精神学医の女性がアルコール消毒してくれたり、 その息子さんが何から何までしてくれたり・・・ ずっとカナダのモントリオールに住んでいたけれど、リタイアを期に寒いモントリオールから 奥様の故郷トリニダード・ドバゴに戻ったというご夫婦とも仲良くなりました。 カナダのカルガリーから来たご夫婦とも話をするようになれたし・・・ 災い転じて福となす・・・といったところでしょうか。
1500年前、ホトゥ・マトゥア王が上陸したと言われているアナケナ海岸に7体のモアイがあります。 ここでは1時間の自由時間となったので、 怪我のお陰で仲良くなったメンドーサから来た母&息子と3人で一緒に歩きながら見学しました。
7体の内5体は完全な形で、さらにその4体にはプカオがのっており、褌のような彫刻も見られました。
頭にのせているのはプカオと呼ばれ当時の髪形とも言われています。 ここナウナウの4体の他にプカオをのせているモアイは、トンガリキに1体、タハイに1体の計6体のみです。 またここでもうひとつの重要な物が見つかったのです。それは「モアイの眼」。 島には1000体近くもモアイ像があるというのに、眼はここで発見されたひとつのみです。 フリ・モアイでのマナ封じから生き延びた唯一の眼なんでしょうね。 ここで発見された眼は、「モアイの眼」としてハンガ・ロアのイースター島博物館に展示されています。 自由時間が終わって、あとはハンガ・ロアに戻るだけ・・・ 往路ずっとしゃべりっぱなしだったサブリーナもやっとお役目御免、ジョセフィーヌと遊んでいます。 私は暑い中歩いて疲れたのかウトウト、他の人もみんなそんな感じの車内でした。 気がつけばわがお宿の前・・・みんなに「ありがとう!またね!」と言ってバスを降りました。 ラパ・ヌイを去る日と便が一緒の人も2組いるし・・・狭い村なのでまた会えるといいなぁ・・・ 今日の見学、そしてその時の説明を元にガイドブックと照らし合わせておさらいをしておきましょう。
さて今夜も夕食をご一緒する約束をして一旦お部屋へ。 シャワーを浴びたいけれど、浴びたらビール飲みたくなっちゃうし外に行きたくなくなりそうなので、 充電しながらメールや旅行記UPの準備をしておきましょう。 今夜の夕食は海辺のレストラン「Pea ペア」 もう薄暗くて夕陽とか海を楽しめる時間じゃないのがもったいないようなシチュエーションです。 夕暮れを見ながらカクテルを楽しんで、それから夕食をとるのが似合うレストランですね。
お店のイルミネーションがすごいので、お料理もすごい色になっちゃいました。(-.-) ペルーが本場のピスコサワーは、葡萄蒸留酒のピスコと卵白やレモンなどで作ったカクテルです。 基本カクテルはあまり得意じゃないのですが、ピスコサワーは気に入りました♪ ちょっと見にくいのですが、チキンのお皿はかなりおしゃれな盛り付けです。 かなり待たされましたが、なかなか美味しい上、お手頃価格メニューが多かったです。 やはりここもセビーチェは材料不足で「ない」と言われてしまいました。 途中のインターネットカフェで1時間程遊んでからお宿へ戻ります。 今夜もお部屋宴会、サンティアゴで買って来たワインもあけて・・・ 今までの旅の写真をPCで見せて頂いたのですが、さすが一眼レフの画像が素晴らしいです。 一眼レフ欲しいなぁ・・・でも今の私の旅の形では持ち歩きは難しいかも・・・ それより使いこなせないか・・・と言う事で却下決定です。 ほどよい時間にお開きにし、部屋に戻ってからシャワーを浴び、ベッドに入ったのは2時近かったかも・・・ |
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