10日目: メキシコシティ滞在
7時、ゆっくりめに起床です。
そして2000年1月1日の朝を無事迎えることができました。何事もなくてよかった〜。
日本での元旦はいつも若水での朝風呂から始まるので、メキシコでも・・・♪
気分もすがすがしく、9時から全員揃っての朝食です。
琴の音が流れる個室で、お雑煮付きの和定食を頂きました。
今日はメキシコシティの市内観光と、12箇所目のマヤ遺跡テオティワカン観光の予定です。
10時にホテルを出発し、まずは30分程のグアダルーペ寺院へ。
BASILICA de GUADALUPE
黒い髪と褐色の肌を持つ聖母が祀られているカトリック寺院。 |
ここは世界三大聖地(ルルド、ファティマ、グアダルーペ)のひとつで、
旧聖堂の後ろの丘のあたりが、ファン・ディエゴが奇跡にあった所とされています。
旧聖堂は地盤沈下で傾いてしまったため、その左手に新聖堂が1976年に建てられました。
新聖堂は情緒も何もない近代的な造りなのですが、
1枚のマリア様の絵を見るための行列が絶える事がなく、いつも混雑しているそうです。
絵の前には、立ち止まらせないための短い動く歩道が3本行き来していました。
グアダルーペ聖母の奇跡
1531年12月9日、テペヤックの丘を歩いていたファン・ディエゴという男の前に
光り輝く褐色の肌をした聖母が出現し、
「私は聖母です。司祭の元に行き、この地に私の聖堂を建てるよう伝えなさい。」と言いました。
誰もファン・ディエゴの言葉を信じず、落胆した彼は再度テペヤックの丘に戻ったところ
再び現れた聖母が、証拠にたくさんの真紅のバラの花を渡しました。
当時12月にはバラは咲かないとされており、
マントにいっぱいのバラの花を包んだファン・ディエゴが急いで戻り、司祭の目の前でマントを広げると
金色の光と共にマントに褐色の聖母像が浮かび上がったということです。
ちなみにこのマントは新聖堂の中央祭壇に祀られています。 |
また、この新旧聖堂の周りには、土産物屋や食べ物の屋台がたくさん出ており、縁日の雰囲気でした。
グアダルーペから30分程でテオティワカンのある町に入ります。
トイレ休憩方々寄ったドライブインは「なるほど・ザ・ワールド」でも紹介された所でした。
あのテキーラを作る竜舌蘭の栽培もしており、
竜舌蘭の葉から水を取ったり繊維を抜いたりのデモンストレーション、また根っこを掘って見せてくれました。
店内ではお土産も販売しており、黒曜石で作られたインディオの横顔の置物を購入しました。
また重い物が増えてしまった・・・
ここからテオティワカンはもうすぐです。
TEOTIHUACAN ビデオカメラ持込N$30
紀元前後から7世紀にかけて栄えた中央高原最大の神殿都市国家であった。 |
中央高原に栄えたメキシコ最大の神殿都市遺跡であったテオティワカンは、
650年頃と推定される大火災の跡が認められ、その後急速に滅んだ事が明らかになっているそうです。
その後13〜14世紀に中央高原に侵入してきたアステカ族が、
この地を「神々が集う場所」という意味の「テオティワカン」と名づけ、
統治者たちの墓地として利用し始めました。
この地に葬られることによって死者は神に生まれ変わる事ができると信じていたと伝えられています。 |
メキシコシティ在住でとくにマヤ文明に詳しいスルーのガイドさんは、
ちょっと斜めから見た説明がお得意で、いつも引きつけられる私は毎度目から鱗状態です。
まずは南端のシウダデラ(城砦)から説明を受けます。
シウダデラの基壇には豊かな装飾が見られました。
1辺400mの正方形のシウダデラにはテラスが付いており、西側のテラスから中に入ると
中庭に6つの基壇を重ねたピラミッドがあります。
テオティワカンには、これを含め3つ(他はかの有名な太陽と月)のピラミッドがあるのですが、
すべてタルー・タブレロ様式で作られているそうです。
ガイドさんはタルー・タブレロ様式を、「スカートみたいでしょ?」とよく仰っていました。
私にはどうしてもそうは見えず、毎度ひとりウケていましたが・・・
タルー・タブレロ様式
土を盛り固め、日乾し煉瓦でタルーと呼ばれる斜面を築き、
その斜面に垂直に石板をはめ込む事をタブレロと言い、タルーとタブレロを交互に繰り返す様式。 |
話は戻り、このピラミッドがケツァルコアトルの神殿です。
このピラミッドのタブレロは、トラロックとケツァルコアトルのレリーフで覆われており、
わずかに彩色が残っている物もありました。
当時は鮮やかな神殿だったようです。
トラロック
眼鏡をかけたような顔の雨の神で
現世を生き抜くために必要な全ての物を与えてくれるとされている。
ケツァルコアトル
羽毛のある蛇で
水と豊穣の神であり、仲裁の神として神格化され偶像化されていた。 |
死者の道に出ると、正面に月のピラミッドが、右手に太陽のピラミッドがそびえています。
このテオティワカンを南北に貫く幅40mの死者の道は、4キロにもおよびます。
フリーで半日〜1日かけて観光するなら歩くのもいいのですが、
時間のない私達はバスで移動します。
太陽のピラミッドに近い駐車場付近にはお土産屋が並んでおり、
9人中登らない4人はお土産屋めぐりをし、私はもちろん登ります!!
太陽のピラミッドは基底の一辺が225m、高さ65m、248段の階段の頂上には
かつて神殿が建っていたそうです。
エジプトのピラミッドと違う所は、メキシコのピラミッドは神殿をのせる基壇として築かれたという点で、
この太陽のピラミッドも、神殿があった当時は70mを越えていたと推定され、
体積ではエジプト・ギザのクフ王のピラミッドを凌ぐ大きさだったと言われています。
今日は1月1日まさに初詣です。
私は腕時計の1時(13時)の秒針まで確認してから登り始めました。
3層になった248段のピラミッドは
2層目を登りきるまで4分かかり、最後の1層が数珠繋ぎの人ごみでなかなか進まず
トータル9分で頂上に到達しました。
標高2500mの高地なので、結構心臓バクバクでしたが、
他の人同様、太陽に向って両手の平をかざしお祈りしてきました。
出発時間の関係で、右手に見える月のピラミッドに上れないのが残念ですが、
帰りは、ゆっくりゆっくり味わいながら下りました。
テオティワカンを14時に出発し、10分も走らない距離のレストランで昼食です。
ビュッフェだったのですが、まさにメキシコ!って感じのメニューとセッティングが楽しかったです。
トルティージャ、とうもろこしの皮で包んだ蒸しパン、サルサのせライス、
サボテンと玉ねぎとコリアンダーのセビーチェ(これ美味しい♪)などなど・・・
ここのビールはN$19(¥228)でした。
遅いランチが終わって15:20出発、ここからシティまで約1時間です。
お買い物の希望者がいたので、ショッピングモールで45分時間をとってくれました。
売り場でオーダーすると書類を作ってくれ、書類を持って支払い所で支払うとスタンプを押してくれ、
スタンプ済みの書類を持ってまた別の所に行って受け取るというシステムです。
面倒なだけでなく時間がとてもかかるので、何点か買う人はまとめないと行ったり来たりが大変です。
私はクンビアとマリアッチのCDを3枚購入しました。
さて市内観光です。まずはソカロへ。
正式名は憲法広場(Plaza de la Constitucion)でありながら、ソカロと呼ばれている中央広場です。
一辺が240mもある巨大な広場に面して、
アステカ文明、スペイン植民地時代、メキシコ独立時代の建造物が立ち並んでいます。
昨夜のミレニアムイベントの残骸があちこちに残っていました。
ソカロの下は地下鉄が通っており、
その噴出し口から出る風でパラシュートみたいなのを飛ばして遊んでいる子供がたくさんいました。
出店も多く、タコスや蒸しパンやカキ氷などの食べ物の屋台や
アクセサリーや衣類、クラフトなどの屋台は見ているだけでも楽しい♪
CATEDRAL METOROPOLITANA
アメリカ大陸最大かつ最古の教会建築。 |
ソカロの北側に位置し、アメリカ大陸最大にして最古の教会建築のカテドラルで、
1525年に建設が始まり、完成まで250年を要したと言われています。
当時アステカ神話の最高神のひとつ、ケツァールコアトルの神殿があったのですが、
それを壊して、その石材を使って同じ所に建てられたカテドラルです。
ここには黒いキリストの絵がありました。
また奥の左手には日本にゆかりのある絵がかけられたチャペルもありました。
TEMPLO MAYOR
アステカ帝国の中央神殿跡 |
カテドラルを回りこむと、「大神殿」という意味のテンプロ・マヨールで、
かつてここには50mもの高さのピラミッドや、78の大・小神殿があったと言われています。
メインストリートとも言えるレフォルマ通りをバスで走り、
車窓からコロンブス記念塔や革命記念塔を見、独立記念塔では写真を撮るだけですが降りました。
標高の高いメキシコシティは、日中は20℃を超えるというのに
朝晩は日本とそれほど変わらず3〜5℃位になることもあり、そろそろ肌寒くなってきました。
18時にホテルに戻り、夕食までの1時間で荷作りをしておきましょう。
夕食はホテル1階のレストランで、
海老のスープ、フリホーレス、(グ)ワカモーレ、チキンとビーフの盛り合わせ、
パプリカのソテー、サラダ、ケーキなど。パンが豊富で美味しかった。
そしてビールも。今回はゴチになりました♪
明日は早いので、食べ終わったら早々に各自部屋に戻ります。
荷作りをほぼ完了させてから入浴し、22時半、ちょっと早めですがおやすみなさい。