八月の末、厳しい暑さが和らいだので久しぶりに夕方の公園を散歩しました。ひととおり歩き終えたころにはうす暗くなり始めていました。この時期、公園には咲く花はなく、草木の緑だけが目に映っていたのですが、公園の片隅に目がいったとき、何か赤い花のようなものをつけている木が目に入りました。それは遠目では木の全体に咲いているように見えました。近づいてみると花ではなく実のようなものでした。その実のようなものは、一粒一粒が枝に実をつけているのではなく、実がブドウのように集まっているものでした。人体の肺の構造を知っているものならば、肺を作る肺胞が集まった肺胞嚢とよばれるものと似ているようにもみえました。あとで家内にそのことを話したら、気持ち悪いと一蹴されました。この実のようなものが赤みを帯びていて遠目には赤い花のように見えたのでした。その時期には遠いですがクリスマスツリーのオーナメントのようにも見えました。
家に帰って調べてみたところ辛夷の木であることがすぐに判りました。白い花をつけた春先の辛夷の木からは想像ができないものでした。不思議な木の実は集合果とよばれる果実でした。これが熟すると房のような袋果から種が垂れるそうです。そこで辛夷の名の由来が、コブ状の果実から垂れ下がる種子(シュシ)ということでコブシと名づけられたそうです。しかし、もっぱら集合果の形が拳のようだからというのがその名の由来ともされています。桜の開花のあとに咲く辛夷の花は、温かな春の証であり、北国では田仕事を始める目安でもありました。そんなことから田植桜ともよばれているそうです。
辛夷の花というと堀辰夫の大和路・信濃路を思い出さずにはいられません。堀辰夫は奈良からの帰りの列車で、ずっと車窓の外、木曽川の風景を眺めていたにもかかわらず、妻や他の乗客が見たという辛夷の花を見逃してしまいました。それはもしかしたら季節外れに降っていた雪のせいかもしれないと堀辰夫は思いました。「とうとうこの目で見られなかった。雪国の春にまっさきに咲くというその辛夷の花が、いま、どこぞの山の端にくっきりと立っている姿を、ただ、心のうちに浮かべてみていた。そのまっしろい花からは、いましがたの雪が解けながら、その花の雫のようにぽたぽたと落ちているにちがいなかった。・・・」堀辰夫はそう書いてその短編を閉じました。
私は高校卒業の春にその信濃路の列車の旅を逆に辿っていました。新宿から夜行列車に乗り、翌日の早朝、南木曽に降りてそこから妻籠、馬篭とめぐりその日のうちに名古屋を回って横浜へ帰りました。友人との短い思い出の旅でした。車窓を眺めながら、辛夷の花のことを友人に話したと思います。それはその白い花が白く可憐であるがゆえに、ロマンチックにとらえていたからかもしれません。だから、辛夷の木の名の由来が、握りこぶしであることがどうしても好きになれません。先人が、拳(コブシ)ではなく、モクレン(木蓮)を辛夷の字をあてたというのも、同じような気持であったかもしれません。
10月の夕暮れ、あの辛夷の果実はどうなったかと思い散歩に出かけました。木の下に果実が相当数落ちていました。そのひとつを拾ってみると確かにあの房から赤い種が出ていました。10個ほどの房から出たそれぞれの種は細い紐のようなものとつながっていました。ちょうどへその緒のようでもありました。それはまだ果実を落としていない枝にもみられました。袋果から種が垂れるというのはこのことだろうと思いました。数えきれない種子をその木は生んだことになります。落ちた種はその場所に生えるのでしょうか。しかし、毎年このあたりで辛夷の木が増えた様子はありません。鳥がついばんでどこかで子孫を残すものもあるかもしれません。子孫を残すのは並大抵のことではないようです。それゆえに、毎年毎年種を生むという営みを繰り返しているのでしょう。そして、12月、辛夷の果実の姿はどこにも見当たらなくなりました。それにかわって枝には大きな芽が付いていました。それは冬芽と呼ばれ、春に咲く花と葉が白い毛をまとって冬の寒さをしのぐものでした。もう、春の準備をしているのです。
しばらく辛夷の木のことを忘れていました。忘れていたというよりは、毎年変わらずにあることに大きな関心を持たなかったということでしょう。それが或る年の3月のはじめ、辛夷の木の芽がだいぶ大きくなってきたことに気が付きました。いったい花が開くのはいつ頃かと思いながら辛夷の木の周りを巡っていたら、周辺のツツジの木の傍らで小さな辛夷の木を1本見つけたのです。辛夷の木だと分かったのは真上の辛夷の木と同じ木の芽を2つ付けていたからです。辛夷の木の子供に違いありません。あれだけの数の辛夷の果実の種があっても子孫を残すのは大変なことだと述べましたが、それがとうとう実を結んだのです。これは私なりに大発見でした。この子供は成長できるのでしょうか。あまりに親に近いところに出てきてしまったので、不安が残る発見でした。公園管理者が伐採してしまうかもしれません。せめて別の場所に移してくれればいいのですが、心配です。ある公園のポプラの木も伐採されてしまいました。川べりに植樹された三春の滝桜の子孫も伐採されてしまいました。伐採される理由が見当たらないことにただ一人憤慨するだけでした。
3月下旬20度超える温かい日のことでした。暖かさに誘われて公園を歩いていたら、遠目に白い花をいっぱいにつけた木が目に飛び込んできました。あの辛夷の木です。それは見事に咲いていました。まさに真っ盛りでした。もしかしたら、満開のそして最も美しい時期に見るのは初めてかもしれません。青空を背にした白い辛夷の花は幾重にも重なり花の迷宮にいるようでした。それに惑わされたのでしょうか、かすかな甘い匂いがしてくるのです。嗅いだことのある香りです。辛夷の花の匂いでしょうか、花に顔を近づけると、やはり花から匂いが漂ってきました。匂いに関心のある方なら記憶にある匂いだと思います。ある樹木の花の匂い、もう少し言ってしまえばその花のお茶の香りです。はたして辛夷の花の匂いは何に似ているのか。関心がある方は満開の辛夷の花に出逢ってきいてください。
2020年の春先から世界は新型コロナウイルスでパンデミックに陥り、2021年のこの春も世界では第2次世界大戦時よりも多くの死者を出してまだ続いています。しかし、自然はそれにお構いなく営みを続けています。あたふたと生きている人間にしばし、立ち止まって考えよ。自然をよく見よと言っているかのようでした(3月24日)。

