
踊りは民衆のもつ歓喜のさまを身をもって表した素朴な表現であり、古代社会から行われてきたものであって、定まった形式はなかった。歓喜を手の舞い、足の踏むところを知らずといって表現しているように、手をあげ足をあげ、大地を踏みつけて踊りさえすればよかった。踊りが神事と融合し、仏教と結びつくことによって、それぞれがもつ要素を基盤として神樂となり、また遊びとなったが、それはまた念仏と結びついて踊り念仏となった。
踊り念仏の歴史は空也の出現によって始まったと言われている。とすれば空也は十世紀半ばの人であったから、千年以上の伝統をもっているといえよう。その伝統は現在まで受け継がれているが念仏が日本の津々浦々にまで浸透したのは、念仏聖(ひじり)のたゆまざる活躍があったからである。
福正寺開山一向上人は法然上人の法系を継ぐ上人であり、称名念仏こそ阿弥陀の本願であるという教えを念仏行として独自の方法で実践して踊り念仏という形で一般民衆に布教した。そして芸能的な布教方法は飛躍的に受け入れられ、念仏聖や勧進聖らを結集して踊り念仏のネットワークを作り上げた。
140年の時を超えて再興してから18回目を迎えた。県内はもちろん関東一円からの参拝者もあり、にぎやかに円成(えんじょう)することができた。再来年には開山750年の開山祭を盛大に行う予定です。
これからも貴重な仏教文化、無形文化財として末長く伝承していきたいと思っております。
城郭(じょうかく)の様に堅固(けんご)な山門には徳川将軍家菩提寺の威厳が輝き、法然上人を祀る御影堂の中からは、途切れることなく念仏の声が穏やかに流れている。日本有数の広さ、外陣だけでも二千人もの人々が集うことができるといわれ、法然上人入滅から八百年が過ぎた今も、法然上人の遺徳を慕う人々が全国から奉拝に訪れる。その御影堂で猊下(げいか)お導師のもと参詣者の先祖精霊のご回向をいただき、お十念、ご垂示(すいじ)を賜った。除夜の鐘で有名な大鐘(だいしょう)や狩野派絵師による方丈の障壁画群等の見学。念仏信仰の所以(ゆえん)と歴史を知ることができた。
その他京都では、西山浄土宗光明寺の紅葉、徳川家光寄進の東寺の五重塔は圧巻だった。
今回の団参のもう一つの目的は、奈良での古仏巡礼である。六世紀に仏教とともに伝来し、独自の進化を遂げた仏像は日本の宝にして美術・彫刻の最高峰である。悠久の時を超えて息づく飛鳥寺の釈迦如来坐像(飛鳥大仏)。法隆寺の釈迦三尊像、唐招提寺の鑑真和上像、興福寺の仏頭、東大寺の廬舎那仏(大仏)等々に息をのみ、古雅幽遠(こがゆうえん)の香気を味わった。
仏教徒はずっと釈迦を慕っていた。その思いは釈迦が亡くなった後もますます強くなる。何とかして真の釈迦に出会いたい。しかしそれは叶わないこと。そこで釈迦により近い姿の像を造った。それが仏像の始まり。人々は仏像に祈りを捧げることにより、釈迦に一歩でも近づき、自分達の信仰を高めていった。仏像が時代を超えて人々の心に響くのは、見るものに信仰を呼びさましてくれるからなのだ。念仏の根本道場・知恩院でご縁を結び、
「あをによし 寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花の にほふがごとく今さかり」 と万葉人が詠みあげた古都は自然と人が交感する美都であった。
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