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【 写 真 館 】
過去に房総・能登・伊豆と半島巡りをしてきましたが、ココだけはどうしても外せない半島に気付きました、それは日本で最大の半島「紀伊半島」です。そんな訳で行ってきました。前回の「琶湖一周」は3泊4日でした、今回はかなりの長距離なので7泊8日で計画。時期は夏休み終了後の9月中旬を予定した。しかし丁度その時期の天気予報が想定外の悪天候、迷った挙句10月中旬に変更しました。そうして計画したのが下図の〔7泊8日のテント泊〕です。走行ルートを決める時ついついアチコチ行ってみたくなり盛り込み過ぎて、こんな箆鹿(ヘラジカ)
の頭みたいなヘンテコなルートになってしまった。ルート全体を見ると旅の主目的だった「紀伊半島巡り」の意図が随分ブレているように見ますが、この7泊8日の旅で比重を置くのはなんてったって日本一大きい半島の「紀伊半島」です。
「紀伊半島」について調べてみた。ある説明によると紀伊半島とは和歌山県の紀の川付近と三重県の伊勢付近を通る「中央構造線(※1)」以南を指し、大部分は山地(紀伊山地-標高1000m前後の山脈)であり、人が住むのは「紀の川流域」・「伊勢平野」・「海岸の小平野」で海岸線は屈曲に富み良港が多く見られる。
「紀伊」の名称は7世紀(600年代)当初は[木国(きのくに)]という国名だったらしい。[木国]の由来は雨が多く森林が生い茂っている様相からと言われる、(諸説あり)。713年に朝廷から「好字二字令(※2)」(二字が縁起が良いのでそうしろ令)が発せられ「(木)国」が「(紀伊)国」となったようだ。伊は黙字かな?
また、紀伊半島には約1万数千年前に南紀熊野の大規模な火山活動により出来た奇岩・巨岩・地層が数多く見られる。例えば南紀串本町の「橋杭岩(はしぐいいわ)」、南紀白浜町の「千畳敷」・「三段壁(さんだんぺき)」、東牟婁郡-古座川町(ひがしむろぐん-こざがわちょう)の「一枚岩」である。
今回、橋杭岩は横目で見ながら通過してしまったが、「千畳敷」-「三段壁(さんだんぺき)」-「一枚岩」は見学してきた。
(※1)「中央構造線」は九州の八代~徳島~和歌山~伊勢~諏訪の南~群馬の下仁田~埼玉の寄居まで延長1000km以上も連続して追跡できる長大な断層。
(※2)「好字二字令」は第43代の元明天皇(女帝)が和同6年に「国名・郡(こおり)名・郷(さと)名」などの名前を二字で表記するように指示した。
今回のツーリングは10月12日(土)~19日(土)の7泊8日。8日間のツーリングなので雨の日もあるかも知れない…と思いつつも、最悪でも曇りでありますようにと祈った、旅は「紀伊半島」を周ったついでにアッチもコッチもで四国の愛媛県今治から「しまなみ海道」で本州に渡り岐阜の奥飛騨まで足を伸ばした。
なるべく低価格のキャンプ場を選びました。「安かろう(悪)かろう」の(悪)は少々我慢。コスパは最高でした(支払った金額に対し期待以上の成果を得られた)
<自宅>-(栃木市今泉町) ➡➡➡ -<伊勢志摩御座岬オートキャンプ場>-(三重県__志摩市_志摩町_御座(ござ))
初日は長丁場となるので観光は一切なし、目的地の「御座岬オートキャンプ場」を目指しひたすら走り続ける。5時37分に出発、「大渋滞」にハマルこと2回、渋滞区間は「圏央道の日の出I.C~八王子JCT間」と「東名高速道の秦野中井I.C~吾妻山トンネル間」だった。
渋滞にとうとう痺れを切らして「すり抜け運転」決行、違反行為かも知れませんがかなりの距離を進んだ。「鮎沢PA」で休憩して自販機でカルピスを飲んで水分・糖分を補給する。パーキングにトイ・プードルとM・ダックスフンドを連れた御夫婦がいた、旦那さんが連れたトイプーは休憩が嬉しくて飼い主を引っ張って、段差に飛び乗ろうとしたが後ろ足が届かずにずり落ちてコケた、その恰好が滑稽で笑えた、ワンちゃんとても体裁悪そう(笑)。「鮎沢PA」からおよそ35km先の「駿河湾沼津P」で休憩する、そして120km先の「浜松SA」で給油-単価192円(11:15)、80km先「刈谷PA」で昼食(担々麺)を食べ、少し散策して出発。「刈谷PA」から140km先の「伊勢道・伊勢本線料金所」を通過して、一般道(県道32号線)で40km先の「道の駅伊勢志摩」へ、ここでは酒類と飲料水を買った、「このビールがいいよ、おすすめ」と店員に言われて(①熊野古道麦酒・②神都ビール(幻のビールと言われる)・③伊勢ピルスナー)のセットを購入(14:51)、酒のつまみは好みの物が無かった。目指すキャンプ場は30km先、少し道に迷ったが地元の人に教わりながら何とか辿り着いた(15:59)。
16時頃に「御座岬オートキャンプ場」に到着。管理棟で受付をし、サイト利用の注意事項を聞く、テント設営場所は管理棟のお兄さんが親切に徒歩で案内。テントを設営し終えて予約(17:00~17:50)していた貸切風呂へ行く、風呂は管理棟の向かい側にある宿泊棟、風呂は貸切りです。湯舟は4~5人が入れる大きさ、おかげ様で一人でユックリと汗を流すことが出来た。酒盛り用のおつまみや夕飯の買い出しのため近くのファミマへ出掛ける(17:30)。キャンプ場に戻って、買ったおつまみや夕食をテント内に広げ一人酒盛りの準備。既に18時過ぎで外は暗い、キャンパー達は何をしているかと思ってテントの外に出てみた。シニア夫婦や子連れ家族・若いカップルなど7~8のグループが火を焚いて料理を作っていたりテーブルで食事をしていたりでした。また、管理人が地域猫に夕ご飯を与えていました。興味津々で近寄ると数匹いる猫の中にすり寄ってくる猫ちゃんがいた、私の足に体をこすり付けてくる、「おりこうさんだネェ~」と言って頭を撫ぜると足元にゴロンそして大喜びのゴロゴロでした。この猫は小さい頃から管理棟に入ってくるという唯一警戒心の無い猫で他の猫と違って人馴れは「猫一倍」だと管理人の奥さんが言っていた。19時頃テントに戻って小一時間ラジオを聞きながら一人酒盛り、ほろ酔い気分で再び外の空気を吸いにテントを出てみた。キャンパー達は火を焚きながら、まだ食事や雑談をしていた。地域猫達はというと殆ど何処かへ行ってしまった。…が一匹だけ子供会議にまぎれて居た猫がいらっしゃった。薄雲りの夜空には月、そして所々に星が見えていた。テントに戻り飲みかけの缶チューハイを飲み干しシェラフの中に入り就寝zzz。今日は予想通り一日中好天に恵まれて大満足でした。子供達が多かった割にキャンプ場の夜は静かだった。
<伊勢志摩御座岬オートキャンプ場>- (三重県_志摩市_志摩町_御座 ) ➡➡➡ -<潮岬望楼の芝キャンプ場>- (和歌山県_東牟婁郡_串本町_潮岬)
早朝4時頃に目覚める。誰も起きていません、外は真っ暗です、ラジオを聞きながら横になり、明るくなるのを待ちテントの撤去作業を開始。テントのフライシートは夜露でかなり濡れていました、自作の雨除けシートをかぶせておいたので濡れた部分は少なかった。夜露で濡れてしまった部分は雑巾でキレイに拭き取る。テント内にある寝具や小荷物をまとめてテントの外に出し、湿り気のあるフライシートは別に小袋に入れる。テント用具一式は畳んでテント用バッグに収納、その他の小荷物も最近購入した中古品のデカいバックに全て入れてバイクの後部シートに積み込む、出発の準備は整いました。最後に忘れ物がないかテントの撤去跡を確認。唯一の筆記用具であるメモ用のボールペンが最後まで見つからなかった。いざ出発!今日は紀伊半島の東の海岸沿いを走ります。
今日(13日)の午後あたりからドライブレコーダーの録画不調の状態が頻発して録画中のランプも点滅せず、録画しない時間帯が多くなる。
「御座岬キャンプ場」からおよそ25km先の「横山ビジターセンター」の駐車場に到着、早朝のためか人影は見えない。たまたま散歩中の御婦人に展望台まではどのくらいか聞くと10分か15分らしい。行く・行かない迷ったが、先を急ぐことにした。途中「(※)道の駅 紀伊長島マンボウ」で休憩する。ツーリングのグループが随分来ていた。
「とちぎナンバー」が珍しいのか20代の若者に「栃木県のどこから?--この後はどこに?--何泊ですか?」など質問攻め、予定表を見せて説明したら感心していた(何に感心したかは分からない)。芝生の広場には「マンボウ」の愛嬌のあるモニュメントがあった、余りのユニークさに記念写真を撮った。その後は広場をざあっと一回りしてトイレで用を足し、道の駅をあとにした。次の目的地の「丸山千枚田」は以前ホームページのトップページに背景として選んだことがあり一度は現地に行き自分の目でどんな風景なのか見たいと思っていました。展望台から見た千枚田の景色は緻密に出来たジオラマを見ているようで思った通りとても素晴らしかった。その景色の中に一際目立つ大岩がポツンと鎮座していたので行ってみた、想像以上にデッカイ~ゾーだ。何故こんな場所にあるのか?「何でかなぁ~何でかな」だ。「丸山千枚田」の中の曲がりくねった道を抜けて約50km先の「熊野古道 大門坂」を目指す。無料駐車場には12時を少し過ぎた頃に到着した。バイク専用の駐車場が見当たらないので邪魔にならないように隅の方に停めた。
ドライブレコーダーの録画点滅しない(録画していない)状態が多くなった、原因不明。
(※)「道の駅 紀伊長島マンボウ」の名は地元でマンボウを食べる風習があるので付けたらしい。
「熊野古道」の人気のコース「大門坂から熊野那智大社」を歩いた。無料駐車場を出て暫く歩くと道路反対側に「大門坂」と書かれた大きい碑があった(12:17)、ここが人気コースの出発点です、最初にここで記念写真を撮る人が何人もいた。坂道・石段を上って行くと「大門坂茶屋」がある、ここには平安時代の衣装のレンタルがあるようだ。更に進むと上り坂の石畳や石段が続く、その道を挟むようにした大きな杉が2本見えた、「夫婦杉」です。この手前に記念撮影するスペースがありました。ここでは平安貴族の衣装で記念撮影をするカップルがいた(プロのカメラマンが撮影)。次に私がセルフタイマーでポーズを決めて写真撮影。夫婦杉を過ぎると右手に「(※)多富気王子跡」が有りました。ここからはチョット勾配のある石段と石畳がずっと続いた。少し速足で歩き観光客を数組追い越した。息はハアハアで大汗だく体温が上がり顔が火照った、熱中症か?…と思った。公衆トイレがあったのでその中で着用していたバイク用の防寒インナージャケットとインナーパンツを脱いだ、異常な暑さの原因はコレだったかも、お陰で暑さはかなり遠のいた、フゥー。また黙々と速足で階段を上る、息上がる、「熊野那智大社」の案内看板を見たがまだ歩く。最後の階段を上がってやっと「熊野那智大社」に到着した(12:54)。大社を参拝、奥まった所には結構な人だかり、その先に「那智の滝」が見えた。老若男女の見学者でいっぱいです。「那智の滝」に近い「那智山 青岸渡寺(せいがんとじ)」の「三重塔」は工事中で大きな看板がかざしてあり本物の塔は看板に隠れて見えなかった、今年の12月末まで塗り替え工事らしい。境内を見学し土産も買ったので来た道を戻ることにした。往路の「大門坂入り口」から「那智熊野大社」までの区間(1.3km)は速足・一息・急ぎ足で37分だった。復路は倍速しかも休み無しで駐車場へ引き返した。往路よりも息が弾み大汗-ダクダクだ、下り勾配も手伝ってか所要時間は21分の素晴らしい記録でした。疲れたぁ~汗が引くまで「土砂災害啓発センター」前のベンチで休憩しました。英気を充分に養ってから今日の宿泊キャンプ場を目指した。途中の国道42号線を走行中「弘法の湯」の所でそそり立つ巨岩が目に入る。やや過ぎてから人だかりが…最徐行した、何かなと思ったら大小の岩が一列に並ぶ「天然記念物の橋杭岩(はしぐいいわ)」だった。自然の創り出す造形は「すげぇなぁ~」を感じながらチョット余韻を残してユックリと通り過ぎた。
本日宿泊する「潮岬望楼の芝キャンプ場」まではここからおよそ10kmだ。
(※)多富気王子跡の『王子』は「熊野古道」の近隣住民が在地の神を祀っていた諸社を王子として認定し、「熊野詣の途中で儀礼を行う場所」とした。
紀伊半島の南端に垂れ下がる潮岬、この岬の先端には10万平方メートルの大芝生が広がる。大芝生にはその昔「海軍の望楼(物見櫓)」があった、それでココが「望楼の芝」と名付けられた。キャンプ場はこの「望楼の芝」の東の一角で定員15組程度だ。キャンプ場から数分歩けば太平洋を目前に見られる。
この「潮岬望楼の芝キャンプ場」には15時30分を過ぎた頃に到着。駐車場には既に10台くらいのバイクが駐車していた。私の後から大柄な若者(30代)が駐車場に入って来て停まるなりバイクごとコケていた。サイト入り口では3人のおっちゃんが受付処理、サイト使用時の注意事項の説明や料金の徴収をしていた。私はソロなので1000円支払う。サイト内にはロープで囲ったバイク専用の駐車場が有りバイクをそこに移動させた。そしてその傍にテントを設営した。私の左側の2つのテントは友達同志の20代、後側には年齢不詳の読書家お兄さん、キャンプ場入り口付近には遅く来た話好きのオッサン(30代後半)が設営。19時近くに20代の若者二人の所に話好きのオッサン(30代後半)が来ていたようだ、バイクの話や四方山話をひとしきりして暫くしてから自分のテントに戻った。その後も二人の若者は夜中まで仕事や自分の生き方などを語りあっていた、マジメな二人でした。うつらうつら寝ていたので話し声が時々耳に入っていた。午前4時を過ぎた頃に目覚めてしまいテントの外に出てみた、さすがにみんな寝静まっていた。夜空を見上げたら、煌めく星の数たるや半端ない、空に溢れんばかりです。この夜空を表す言葉が他に見つからない、ただただ素晴らしい…"マジ感動"でした。この星空をカメラに収めたかったが、これを写すカメラも、これを撮影出来るスキルも持っていない…残念~。…今日は一日中晴天に恵まれた。
<潮岬望楼の芝キャンプ場>- (和歌山県_東牟婁郡(ひがしむろぐん)_串本町潮岬) ➡➡➡ -<生石高原キャンプ場>- (和歌山県_海草郡_紀美野町_中田)
出発前に予定を確認していたら話好きのオッサンが寄って来て予定表覗き込み「道中、気ぃつけてなぁ~」私の返事「おおきに~」オッサン苦笑い。「潮岬望楼の芝キャンプ場」の近くには「本州最南端の碑」があるので行ってみました。風が結構強い、飛んでいる鳥が空中で停止しているようだった。「記念碑」はテントを設営した場所から300mくらい西にある、風で帽子が飛ばないように押さえて歩いた。記念碑は二つありました、すぐ後ろは太平洋。
「本州最南端の碑」から「古座川町の一枚岩」までは約20km、朝早い時間なので30分ぐらいで到着した。日の当たる海岸沿いから日陰の山道に入ったのでひんやり寒かった、一枚岩が余りにもデカいのでカメラに収まりません、これは動画を編集した画像です。高さ100m幅500mで日本では最大級の「一枚岩」。この一枚岩は約1万5000年前の南紀熊野の大規模な火山活動により形成された火成岩、マグマが地表に噴出する際、通り道となった火山灰が固まって出来た。
「名勝 千畳敷」は1800万年前~1500万年前に堆積した砂岩が波の浸食を受けて出来た地形です、東京ドームより少し小さい。せっかくの名勝地なのに平坦な場所には数えきれない落書き、目を覆いたくなるようでした。砂岩なので簡単に落書きできます、気持ちは分かるが同意は出来ないねぇ、「ならぬことはならぬものです」。「吉野国立公園 三段壁」の観光案内板の回りは殆どが中国系の観光客でした(中華人民共和国の人か中華民国の人かは?)。断崖絶壁の岬が突き出ていますがどう見てもどこの何が「三段壁」なのか分かりません。そしたら、昔々この【高台】で漁師達が魚の群れなどを監視した場所「見壇(みだん)」として使用した事に由来するそうだ、遷移・流れ➡「見壇(みだん)」→「三段(みだん)」→「三段(さんだん)」→「三段壁(さんだんべき)」らしい。
「南方熊楠記念館」は7・8人が見学していた。子供達もいて顕微鏡を覗いていました、自分も覗いてみた、「粘菌」らしい。次の目的地の生石高原方面の道路は大混雑、対面交通やっとの細い山道は数m進むと止まるの繰り返し状態、左側に傾斜のあるところで停止した瞬間大きく左に傾いてこらえきれずバイクを倒した、荷物の重さと道路の傾斜で一人でバイクを起こせなかった、荷物を下ろして起こすしかないと思っていたら、渋滞で停車中の車から男性4・5人が来てくれて起こすのを手伝ってくれた、総がかりでやっこら起こせた。中の一人がこの先の道路も傾斜のある細い道なのでバイクは先に行った方が良いと言ってくれた。ありがたや~お礼を言って先に行かせてもらった、旅は道連れ世は情けじゃ(感謝)。広い道路に出ても混雑は続いていた、バイクが空冷エンジンのためオーバーヒート気味のようだ、一旦エンジンを止めてしばらく経ってから再スタート、ドップン、ドドッーおかしな音がしていた。キャンプ場のチェックインが16時までのため間に合わない気がしたので連絡した…。やけのやんぱちで渋滞列の右側を追い越せる所は追い越して何とか16時前に到着。「山の家おいし」で受付をして、利用料金を支払った。キャンプ場には機材を積んだ車とキャンピングカー、ステーションワゴンのグループ(30代が7名くらい?)が来ていて大小のドローンを飛ばしていた。テントの設営後16km先の「しみず温泉」を予定していたが、あの渋滞を思い出して中止。水道があるのでタオルで体を拭くだけにした。数機のドローンを飛ばしていた人達も夕方には帰って行った。駐車場には数台の車が残っている。どうやらテント泊は一人ようだった。夕暮れ時のキャンプ場から眼下を眺めると街灯りが見えた、方向から「海南市」の街並みだろう。テントサイトより一段高い場所には展望台があり、そちらの方からは19時を過ぎても若い男女(複数)の笑い声が聞こえていた、いつ帰るんだろうか?…と「トリスハイボールコイメ350ml」を飲みながら心配している私です。今日も晴天に恵まれて快適な一日だった。しかし、バイクごとコケたのが同日に2回も…気持ちがかなり(目一杯)凹んだ。~~~ _| ̄|○ウゥゥ ~~~。
大混雑の理由を自宅に戻ってから調べました。
①生石高原は10月上~11月中まで昼間は銀色、夕方には金色の「ススキの大草原」が広がり360度の大パノラマ、この景色を見ようとして賑わうようだ。
②インスタ映えすると評判の「火上げ岩」、生石高原の山頂付近にある大きく突き出た岩で弘法大師がここで修業したと言われる。映え写真を撮るため並ぶ。
丁度この二つが相まっての大渋滞だったようだ。
<生石高原キャンプ場>- (和歌山県_海草郡_紀美野町_中田) ➡➡➡ -<虹の滝キャンプ場>- (香川県_木田郡_三木町_小蓑(こみの))
早朝の薄暗い中、闇に紛れて白い物体が近づいて来た目を凝らして見ていると60代の御夫婦、毎日の散歩だとのこと正体不明の白い物体には少しビックリだ。少し話を交わして、仲のよさそうな夫婦はススキの中の小道を進んで行った。それから急いでテントを撤去。今日はまず「大阪城」を目指します。生石高原キャンプ場を6時30分に出発、狭い山道を下って行くと道路にシカが5・6頭うろついていた、おっかなびっくりです、コチラに向かって来ないか心配だった、スロットルを小刻みに開き最大の空ふかし、警笛を断続的に鳴らしながらその場を無事にやり過ごした、シカし大型の野生動物との接近は怖いねぇ。そういえばキャンプ場で夜中から夜明け前まで斜面の向こうの森の中で高い鳴き声で「ヒャイ~ン・ヒャイ~ン」とシカが鳴いていたっけ。山道を抜けて街中へ「紀州東照宮」を通り過ぎて「大阪城」を目指した。大阪城近辺でナビが同じような所をグルグル、小一時間のロス、周囲は高いビルなので「城」は見えない、市内の混雑もあって「大阪城」の見学を諦めた。そして今日の宿泊地「虹の滝キャンプ場」へと予定変更した。阪神高速道3号線「魚崎出口」付近から渋滞、少し進んでは止まるの繰り返しどこまで続くか先の見えない渋滞だったので「京橋PA」で休憩する。お昼に近いので昼食(コロッケカレー950円)にした。食後1Fの駐車場に戻ったらバイクが無い。アチコチ探したが見つからず、掃除しているオジさんに聞いたら「二輪の駐車場は上にもあるよ」だって、それを聞いて少し安心、駐車したのは確実に1階だと思っていたので「ドキドキ」だった、2階の駐車場にバイクはあった。「明石海峡大橋/全長3911mで高さ298.3m」を渡って「淡路島」へ向かう。「明石海峡大橋」の走行は強風で身構えないと危ないくらいでした。アゴを上げると横風と向かい風でヘルメットごと顔が持って行かれます。大観覧車のある「淡路SA(下り)」で休憩、「明石海峡大橋」をバックに記念撮影。そして「大鳴門橋/全長1629mで高さ144.3m」を渡り四国に入る。
「虹の滝キャンプ場」の近くに来ているはず、工事中の人に尋ねると「この細い脇道を入って直ぐの突き当りや」…。脇道を下ってキャンプ場の駐車場に到着すると先客キャンパーの若い女性がいた、声をかけると管理人が不在らしい。しばらくして連れの男性が台車に大きな荷物を載せてやって来た。トイレの入り口付近に連絡先を書いた貼り紙があったので男性に電話をかけてもらった。自分はバイクからテント一式を下ろして管理人の来るのを待った。若い男性に電話はどうなったか聞くと圏外で連絡出来ない話。私の携帯で管理人に連絡する、繋がって話しをしたら「5分位で行きます」との事、やがて軽トラックで管理人夫婦が来て、利用料1000円を支払い領収書を貰う。テント設営は駐車場より一段下がった東屋の近くに決定。下りて行くと猫ほどの大きさの動物がススッと目にもとまらぬ速さで横切って行った?なぬっ、何だろう動きが素早くて何んだか分からず---イタチかな?。若い二人は橋を渡った右の奥の方にテントを設営した。私は駐車場から下に降りた場所に設営。見回すと10mくらい奥の右側で薄暗い森の中に共同墓地があった(怖っ)。チョット不気味なのでなるべくそこは見ないようにしていた。テント設営が終わってさぬき温泉(6km先)へ行く、ホテル入り口を左に見て正面には見上げるくらいの大きなダムがあった。左折した所がホテル(17:07)、フロントで入浴料を支払い風呂へ入る、高齢者4・5人が無言で入っていた。風呂から上がってロビーのソファーで涼んだ。そして売店で買い物、しかし一悶着、納得して頂いてビールとつまみを買ってキャンプ場へと急いだ。キャンプ場に到着した頃(17:55)は既に辺りは暗くなっていた。テントの中に入るまでアッチの方角は見ないようにした。テント内に戻り寝る準備をした、いよいよ一人酒盛りだ。今日一日を思い出しながらホテルで買った粗末なつまみ(落花生)を頬張り、いわく有り缶ビールを立て続けに飲んだ。今日は何故か亡くなった愛犬の元気だった頃を思い出してしまった。20時頃に酒盛りを終了して片付けをした。シェラフに入り枕元に置いたラジオを聞きながら就寝zzz・・・。今日も一日よか天気だったなぁー。本日のキャンパーは2組でした。
<虹(こう)の滝キャンプ場>- (香川県_木田郡_三木町_小蓑(こみの)) ➡➡➡ <多々羅キャンプ場> (愛媛県_今治市_上浦町_井口 (大三島))
「虹の滝キャンプ場」を出たのは7時前、どんよりとした「曇り空」です。6km先の「道の駅しおのえ」で飲み食いしたゴミを処分。そして35km先の「旧金刀比羅大芝居-金丸座(きゅうこんぴらおおしばい-かなまるざ)」へと向かう。到着した時は雨が降り出していた。止みそうもない雨なのでこの辺りの見学を中止して先を急ぐことにした。途中のGSで給油・ピットインを借りて雨合羽を着用する、路面にも水たまりが出来てきた。気持ちを新たに雨の降る中を出発、手袋が濡れるのでデイリーヤマザキ(コンビニ)に寄って台所用ゴム手袋を買った。「琴弾(ことひき)公園」に到着時は青空が見えていた。公園の駐車場でバイクの上に合羽を広げて乾かす。駐車場から徒歩でハアハアしながら山の頂上(標高約70m)へ向かう、途中で草むしりをするおばさんと会話した。頂上の展望台には老夫婦が来ていてここは良く見えるネーと嬉しそうだった。展望台からは昔々TVで観た「銭形平次」(大川橋三)のオープニングに出てくる砂で描かれた「(※)寛永通宝」の絵柄が良く見えた。見た人は健康で長生き、そしてお金に不自由しないそうだ。駐車場に戻り公園のベンチで一息入れて次の場所へと出発した。「今治I.C(12:18)」から西瀬戸自動車で「来栖海峡第三大橋」を渡りうっかりして「大島大橋」を通過してしまった。オーバーランのため「伯方I.C」で降りる、ぐるっと回ってまた「伯方I.C(12:45)」に戻り大島方面へ行き「大島北I.C(12:49)」で高速を降り、大島のレストランで「昼食」。もともとはこの大島で「昼食」と「ミュージアム」の見学を予定していたが景色を見ていてオーバーランしてしまった。大島は「愛媛県の今治」を過ぎて最初の島です。
(※)寛永通宝の大きさは東西122m/南北90m/周囲345m/深さ2m、因みに寛永通宝は一文銭(後ろに波形無し)と四文銭(後ろに波型有り)の二種類がある。
大島の「能島(のじま)水軍レストラン」での昼食は「焼き魚定食」を食べました、2500円です。店内には芸能人の色紙が飾ってあった。鯛の子供みたいな焼き魚は今まで全く味わったことのない食感で身がホックホク、出たもの全て「うんまかった」、大満足~。満腹で向かい側にある「村上海賊museum」を見学、中型バスで観光客が挙(こぞ)って入館して来て館内は賑やかになった、村上水軍Tシャツ格好よかったぁーけど買わず…後悔…。30分程度館内を見てから15km先の「道の駅多田羅しまなみ公園」へ、ココの売店にキャンプ場の受付が有ります。利用料金の「1360円」を支払い、約1km先の「多々羅キャンプ場」へ。「多々羅キャンプ場」では円状(交流広場)の所にテント設営しようと思っていたら工事中のオッちゃんが盛んに手を振って手招き、話を聞きに行くと「テント設営は良い場所があるよ」とその場所に案内してくれた。また、風呂はあそこ、コンビニはコッチとか今後の予定場所を全て教えてくれた。お礼を言って指定の場所の海もトイレも水場も近い場所にテント設営する。ひと汗かいた後に1km先の「多々羅しまなみドーム」へ行く、この体育施設のドームにはプール、トレーニング室、温浴施設がある。風呂はシニア料金で入浴した(610円が370円)、7・8人ほどいて外国人もいた。ひと汗流してドームを出ると涼しい風が気持ちE~。白の半ズボンで自転車の籠の中にテニスラケット、何かを話しながら帰って行く外国人の若い男女もいた、何故か外国人が目立つ。途中でファミマに寄って酒とつまみを買いキャンプ場に戻った。キャンパーは円状の(交流広場)に軽自動車で来ていた30代くらいの男性1人だった。今日は「曇りから雨そして晴れ」午後は晴れだったので、一日の天気としては「マアマア良し」としよう。
<多々羅(たたら)キャンプ場>-(愛媛県_今治市_上浦町_井口) ➡➡➡ -<鴨池(かもいけ)公園キャンプ場>- (兵庫県_小野市_来住町(きしちょう))
「多々羅キャンプ場」を6時38分に出発し最初の目的地「阿伏兎観音(あぶとかんのん)」を目指す。「大三島I.C(6:42)」から西瀬戸自動車道へ、昨夜の飲み食いのゴミを大浜PAで処分する。このPAは愛媛県から広島県に向かう西瀬戸自動車(しまなみ海道)最後のPAです。「西藤I.C(7:19)」で高速を降りて県道54号線へ、福山市柳津町付近からは朝の通勤ラッシュ(7:29)が始まっていたが10分程度で渋滞解消。海沿いの道路を走ると阿伏兎旅館があり目的地はこの辺りのようだ、やがて「阿伏兎観音」の駐車場に到着(8:03)。阿伏兎観音は沼隈(ぬまくま)半島の南端、阿伏兎岬の断崖絶壁に建つ朱塗りの寺院です、住所は広島県福山市沼隈町大字能登原(のとはら)。狭い駐車場にバイクを止めてしばらく歩いて行くと、後ろから20代の若い美人さんが急ぎ足でやって来た。御朱印オタクだろうか。観音堂はどこにあるのか聞いてみると「この先を曲がった所ですよ」とスマホナビを見て教えてくれた。入場料は100円、持ってこなかったがその女性が100円を「あげます」と言って渡してくれた。見学を済ませて駐車場でお礼を言って本の気持ちの500円硬貨を返した。「阿伏兎観音」の正式名は「磐台寺観音(ばんだいじかんのん)」で航海の安全や子授け安産祈願として知られる。さぁーてと出発(8:30)ここからおよそ90km先の「鷲羽山」に向かいます「福山東I.C(9:27)」から山陽自動車に乗り「児島インター(10:22)」で高速を降りた。4km先の「鷲羽山」の駐車場には10:30に到着した。
バイクを止めた正面の「鷲羽山展望台登り口」の階段を上ると展望台が見えてきた。絶景です、本州と四国を結ぶ「瀬戸大橋(全長12.300m/高さ194m)」が晴天の海に映えていました。中国人の観光客10数人が大声でしゃべくり回していた。展望台のベンチに座った写真を見るといつの間にか頭の上に角が生えていました。そういえば岡山県は桃太郎伝説の発祥地ではあ~りませんか、頭の角は瀬戸大橋の2本の支柱です。レストハウスの売店で桃太郎絡みのマメシバ(犬)-ストラップを買った。次は約40km先の「岡山城」に向かう、「児島I.C(11:01)」から瀬戸中央自動車道に乗り「倉敷JCT」で山陽自動車道に乗り岡山方面へ「岡山I.C(11:35)」で高速を降りて、一般道で目的地の「岡山城(11:56)」に到着した。「岡山城」は黒い城の代表格です。城近くの路肩の駐輪場で邪魔にならないよう駐車する。30代くらいの外人ビジネスマンがバイクを指さして「ナイスバイクネ、グー」と親指を立て拳を出した、私も「サンキュー、グーです」と返した。岡山城をバックに写真を撮るため三脚を使いセルフタイマー10秒でセット、待つこと3秒…三脚がユックリ傾いてガシャ~ン…突然倒れてカメラのレンズ回りのカバーが割れ破片がふっ飛んだ、ビデオのRECボタンを押しても写真用シャッターのボタン押しても液晶画面は砂嵐のように灰色になって使えなくなってしまった。録画も写真撮影も出来ない状態~大ショック…割れた破片を拾ってガックリしながら早々に次の目的地「姫路城」へと向かった。
岡山城から「岡山I.C(12:52)」で高速へ、約45km先の「福石PA」でトイレ休憩、二輪車用の駐車場に戻ると青年が待っていた、「とちぎナンバーのバイクがあったのでどんな人かと思って待っていました」ペコリ、話を聞くと大平町蔵井の住人で年齢は32歳、名前は聞かなかった。私とバイクの写真を撮りたいというので「OK」した。別れ際に私の年を言ったら返答は「僕の倍以上ですネ」だって。私は一足先に「姫路城」に向かった、彼も休憩後は姫路城に行くかも知れないと言っていた。走行中に、はてと?メガネが気になった、次の「白鳥SA」に寄る。メガネはバッグのサイドポケットの中に有りました、チャックが開いた、気付いてよかったぁ~。「姫路城」の東側にある「姫山駐車場(14:44)」に到着した。ココはバイクの駐車は禁止です。何処か近くに停めることにした。直ぐ近くに「姫路市立美術館」があり屋根なし駐輪場に10数台の自転車が駐輪していたのでその脇にそれとなくコッソリと駐車(14:46)した。それからお城の見学に向かいました。広いねぇ。さすがに白鷺と言われるだけあって姿が美しい、「姫路城」は白いお城の代表格です。近くで天守閣を見上げるとそっくり返るようでした。ビデオカメラが壊れたので写真・動画の撮影はスマホです。お城見学を済ませて、「鴨池キャンプ場」へ向かう(15:16)、「花田I.C(15:36)」から山陽自動車道を走り「加古川北I.C(15:46)」で高速を降りる、ここから約8km先がキャンプ場です。近くの住所まで来たがキャンプ場の場所が分からずでした。目の前のゴルフ場のスタッフに聞いてみたらすぐ傍だった。やっとの思いでキャンプ場に到着、時刻は16時頃だった。キャンプ場は看板が目立たないし大駐車場の奥の方だし、もうちょっとアピールしてくれてもいいと思った、無料なんだから。事前に観光協会からキャンプ場の「使用届け出受理書」をFAXで貰っていましたが検閲はナシだった。キャンパーは私を含めて4組でした。テント設営が終わって6km先の「白雲谷温泉ゆぴか」へ、JAFの優待割引を使う(平日800円→750円)。湯は塩化物泉で温泉基準の16倍の成分
で
地下1,000~1,300mあたりの中生代生野層群の地層から湧出していると言う「優秀な療養泉」。建物も大きいし風呂も大きい、入浴している人も多かった。帰りに給油@165円、(17:57)。傍のローソンでビールと缶チューハイ500mlを3缶・つまみ・手巻き寿司を買う(18:07)。キャンプ場に戻ったのは18時過ぎで辺りは真っ暗闇でした。テントの中でビデオカメラの試し撮りをした、ビデオ撮影はOKのようだ(自然回復)、写真はNG。タッチパネルは反応なしだった。私のテントの左隣の若者5人組は同級生達の消息とバー・キャバレーの話で源氏名であの子はどうだのこうだの、そして飲み屋はどこが安いだとか若者同志の情報交換を夜更けまで延々と続いた。わちきはラジオの音量を下げて聞きながら飲んだ、500ml缶の3本は飲みでがあった。時々隣の笑い声やオモシロ話が耳に入った。21時過ぎにはシェラフに入り就寝したzzz…。本日「天気晴朗なり」でした。
<鴨池公園キャンプ場>- (兵庫県_小野市_来住町))➡➡➡-<奥飛騨温泉郷オートキャンプ場>-(岐阜県_高山市_奥飛騨温泉郷-田頃家(たごろけ))
「鴨池公園キャンプ場」を6時20分に出発して京都「渡月橋」を目指す。「加古川北I.C(7:04)」から山陽自動車に乗り「京都南I.C(8:34)」で降りる。そして一般道で目的地へ。「渡月橋」近くの「京都市嵐山観光駐車場」に着いたのは9時12分(レシート時間)。雨がチラチラ降ってきました。ここから「渡月橋」までは200mぐらいです。雨の降り方が中途半端で降ったり止んだりで傘を取りに行ったり戻したりで駐車場のオッちゃんがコチラを見て苦笑いしていた。橋の上は少し混雑していて諸外国人が多かった、修学旅行らしい高校生の集団もいた、天気もこんな風なので渡月橋を往復し土産店で少しの買い物をして現地を10:20に出発した。これで〔いつか渡月橋を歩いてみたい〕を実現できた。27km先の「京都東I.C(11:07)」で名神高速に乗り61km先の「多賀SA」で昼食(ラーメン:12:00頃)、70km先の「川島SA」で小休止、「一宮JCT」で「東海北陸自動車道」に乗り「飛騨清見I.C(14:36)」で高速を降りた。県道90号線(古川清見線)から国道472号線そして県道75号線(飛騨朝霧街道)→神岡カントリーロード→国道471号線(奥飛騨湯の花街道)と山道が多くガソリンメーターが示すのは残り本のチョット、ハラハラドキドキでユックリ走ってやっとこすっとこガソリンスタンドの看板を見つけた、#ありがたや~でした、GSの旦那さんにキャンプ場はどのくらい先か聞くとおおよそ10分程度との事、(ガソリンは満タン15:37)、イヤ~…ガス欠寸前でした。
10kmほど走って「道の駅 奥飛騨温泉郷上宝(おくひだおんせんごう かみたから)」に隣合せの「奥飛騨温泉郷オートキャンプ場」に到着した。受付でサイト利用の説明を聞いて利用料金を支払う(15:52受付/2300円)。そしてキャンプ場内に入場。既に何組かのキャンパーがワイワイしていました。まず案内図で設営場所を探し指定の場所にテント設営した。私の後ろ側(北)はキャンピングカーの赤ちゃん連れ御夫婦。そして左横(東)のサイイトNO.31は20代の若者で5・6人(騒がしそう)です、河川敷にも数組のキャンパーがいる。キャンプ場内をアチコチ探索しながら物産館で買い物(16:36レシート時間)。買い物を済ませて無料の露天風呂に入りユックリと汗を流した、後から1人入って来たが10分ぐらい一人だったのでほぼ専用風呂状態だった。徒歩で3分くらいでテントに戻り、飲みながらスマホで明日の天気予報を検索して調べる、明日は300kmくらいの移動なので走行区間に当たる長野県と群馬県と栃木県の天気を調べた。東に行くほど天気良しでココの天気は下降気味だ。天候を把握したので外の様子見(20時頃)、隣の若者は常識人でした、所々に話し声が聞こえ、揺らぐ炎も点々と見えた。またテントに戻り飲みかけの缶ビールを飲み干してシェラフ・イン、最後の夜もラジオを聞きながら就寝したzzz…。今日は「出だしは曇りで京都は雨そして曇りで青空は無し」こんな天候でした、気持ち「大雨に降られるよりはまだマシか」です。
このキャンプ場は立地も良くて設備も整っているので夏休みは大混雑するんだろうなぁ~
<奥飛騨温泉郷オートキャンプ場>-(岐阜県_高山市_奥飛騨温泉郷(おくひだおんせんごう)_田頃家(たごろけ))➡➡➡-<自宅>-(栃木市_今泉町)
4時30分に起床、外は真っ暗。スマホで高山市奥飛騨地方の天気予報を調べるとやはり天気は下り坂、ココには居れば居るほど雨の降る確率が高かった。薄明るくなってきた頃に大急ぎで撤収開始、作業中に雨がポツポツと降って来たがすぐに止む、撤収作業が終わって一応キャンプ場の入り口で記念撮影した。6時25分にキャンプ場を出発。国道471号線(奥飛騨-湯の花街道)を東へ、途中寒くなってバイク用インナージャケットを着用。➡「平湯料金所(6:41)」➡「松本I.C(7:40)」(長野自動車)--<どんよりの曇りから雲の多い晴れになってきた>--➡「姥捨SA(8:09)」--遅い朝食カツカレーを食べる(920円)(8:15)--土産を買う(8:24)➡ [長野自動車道] ➡<更埴JCT> ➡ [上信越自動車道] ➡「横川SA上り(9:50)」--峠の釜めし(1400円✕3)を購入した(9:57)➡「太田相生I.Cで(10:48)」高速を降り給油@169円(10:53)➡再度「太田相生I.C(10:55)」で高速に--➡「栃木I.C(11:16)」で降りる➡石澤商店SSで給油@170円(11:31)➡そして自宅に直行(到着時間11:35)。
【グラフについて】
円グラフは諸費用の割合。右側の表は[日別走行距離・ガソリン補給量]、[諸費用]、[持ち出した現金(80,000円)の支出と残高]です。
【今回の感想】
多くの皆様の「優しさ・あたたかさ」をヒシヒシと感じました。皆様に戴いた〝優しさ・あたたかさ〟は複数の誰かにお返しせねばならんのでしょうね。
【主なガッカリ、意気消沈】
(1)ビデオカメラ損傷、タッチパネル不能、SDカードはPCでもエラー(同型式のカメラをヤフーオークションで購入2530円、データの取り出しOKとなる)
(2)ドライブレコーダーの不良(時々録画停止)…ハンドル下の配線にキズがあり振動で時々断線していたようだ、自宅で修理ハンダ上げによりOKとなる。
(3)転倒によるバイクのクラッチレバー湾曲…レバー先端部が曲がってしまったがしばらく修理するつもり無し、曲がりが丁度いい。
(4)ドラレコ用SDカードを整理箱に入れて置いたが振動でゴチャゴチャ、どれが未使用かが判断出来ず。(∴18日・19日はドラレコ映像は無い)
【行先リンク】
1.福島三春滝桜
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◆2.能登半島一周
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◆3.房総半島一周
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◆4.長瀞の岩畳
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◆5.伊豆半島一周
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◆6.琵琶湖一周
--◆7.紀伊半島ぐるっと周って、ついでに四国---
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